あらはばき神と安倍晋太郎氏 古沢襄

安倍晋太郎氏が亡くなって19年間の歳月が去った。秘話になるが、1987年7月末に晋太郎氏は洋子夫人と息子の晋三氏を伴って、青森県五所川原の石搭山・荒覇吐(あらはばき)神社に参拝している。同行したのは画家の岡本太郎氏。

26日の土曜日に東北の「銀河ホール」で作家の高橋克彦さんを囲んで「”炎立つ”の世界から日本を観る」という公開の対話集会が行われる。私もパネリストとして参加するが、翌日は一点山玉泉寺で古沢元・真喜文学碑の「杜父魚忌文学祭」が行われる。

この話は奇しくも一本の線で繋がっている。人の縁(えにし)の深さを、いまさらの様に思いながら、東北旅行の準備に入った。

直木賞作家の高橋克彦さんが「炎(ほむら)立つ」全五巻を日本放送出版協会から発刊したのは1992年12月。北の王者・安倍一族の興亡から平泉の藤原三代の滅亡に至る壮大な歴史ロマンを描いた。1993年7月からNHKの大河ドラマで放映されて大きな反響を呼んでいる。晋太郎氏はこの大著を読むこともなく1991年5月15日に亡くなった。

高橋作品で「荒覇吐(あらはばき)神」にも触れているが、安倍一族の信仰神である「あらはばき神」については分からない点が多い。天孫民族が我国に渡来せぬ以前に、先住民族によって祭られた神だといわれるが、東北には「あらはばき神」を祭る神社が百を下らない。

古代信仰のルーツであるアニミズム的色彩の濃い「あらはばき神」だが、神社の建つ前の地主神、もしくは土着神だという説が有力だと思っている。縄文時代に渡来した「あらはばき神」だから、私は”縄文神”と呼ぶことにしている。

晋太郎氏が青森県五所川原の石搭山・荒覇吐神社に参拝したのは何故だろうか。私は生前の晋太郎氏から「安倍家のルーツは源氏との戦いに敗れて九州に配流された安倍宗任の末裔」と直接、聞いている。石搭山の荒覇吐神社には宗任が祭られているとされているので、そこを訪れる気持ちになったのであろう。

画家の岡本太郎氏が同行したのも意味がある。太郎氏の父親は日本の漫画界に「漫画・漫文」という近代漫画を導いた岡本一平氏。北海道の生まれである。

岡本一平氏に弟子入りした岸丈夫(漫画家・古沢元の実弟)は無名時代の太郎氏と親しかった。下落合の岸宅には太郎氏らが集まって若き画家や漫画家が徹夜で議論の花を咲かせていた。岸丈夫は何かというと「タロウ、タロウ」と連発している。

その太郎氏も「岡本家のルーツは北の王者・安倍一族」と言っていた。石搭山・荒覇吐神社の参拝は岡本太郎氏にとってもルーツを求める旅であったろう。さらには”縄文神”の中から素朴で雄大な縄文時代に自分の作風を求める芸術家の野心が炎立っていたのではないか。

晋太郎氏は好んで「宗任より四十一代末裔の一人」と言っていた。1989年に盛岡タイムスから発刊された「安倍一族」にわざわざ序文を寄せている。

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