一九七〇年頃には異常気象が頻発したことから、寒冷化、氷河期の到来を予測する危機説が流行った。人間がエネルギーを石油や石炭に頼っているかぎり、全地球的な大気汚染が増加する一方で、しかもそれは太陽の直達日射をさまたげ、寒冷化を招くという地球寒冷化説である。
昭和51年(1976)に光文社からでた根本順吉さんの「氷河期が来る」(カッパブックス)がベストセラーになった。同じ危機感を持っていた西丸震哉さんを北陸・金沢の講演会に招いて話を聞いたこともある。
正直にいって私はそれほど切迫感をもって地球寒冷化説を聞いたわけではない。いずれは地球に第二の氷河期がきて人類は死滅するかもしれないが、何万年か何億年の後のことであろう。SF小説を聞くような感じでいた。
一九七二年は東南アジア、インド、中国が大規模な旱魃に見舞われてた。ソ連は酷寒と猛暑でまれにみる大凶作となった。この危機をソ連は米国から大量に小麦を買い付けて国内の混乱を未然に防いでいた。幸いなことに前年の一九七一年は全世界的に豊作で備蓄があった。
もし食糧備蓄が底をついたときに、大きな異常気象が起こったら・・・とは誰もが考えた。米国のエーリッヒ博士は、およそ四〇億の人が死亡すると予測して、この大量死は”ダイ・オフ”と名付けられている。
このあたりから地球寒冷化説はひょっとしたら本当かも知れないと思うようになった。地球の全資源を太陽エネルギーに換算すると、その四日分しかないという話も本気になって耳を傾けた。。
北極海にあるフランツヨセフ島は地球の寒冷化現象をみる重要な島と位置づけられてきた。一九二〇年頃から気温の低下がみられて、地球に異常気象が覆いはじめた一九六〇年代になると年平均気温が大きく下がった。年平均気温が三度から五度下がっただけで、氷河期の気候に戻ってしまうといわれている。この時期に北極の氷が増える現象もみられている。
いよいよ”氷河期到来”かと思っていたら一九八〇年代頃から学界の定説だった地球寒冷化説がガセだということになった。フランツヨセフ島の気温が上昇し始めたのである。そして北極圏でも南極圏でも氷が溶ける異常現象がみられるようになった。極地の温暖化現象が現れた。
今は人類が排出する化石燃料の温室効果ガスによって、地球環境が破壊される危機を招いているという。寒冷化が一転して温暖化説になった。
この学説は一九八八年にアメリカ上院の公聴会でJ・ハンセン氏が「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と発言したのが最初らしい。「地球温暖化による猛暑説」と報道され、これを契機として地球温暖化説が一般にも広まり始めた。(ウイキペデイア)
その後、研究が進むにつれ、地球は温暖化しつつあり、人類の排出した温室効果ガスがそれに重要な役割を果たしているということは、議論や研究が進む中で科学的な合意(コンセンサス)となっていった。(ウイキペデイア)
冷蔵庫(寒冷化説)から真夏のビニールハウス(温暖化説)に放り込まれた感じで、にわかには信じ難い。とはいうものの洞爺湖サミットの中心的なテーマになっているから、寒冷化説が消えてしまった様なことにはなるまい。天気予報もよく外れるが気候や気象の学問はよくよく難しいものらしい。