キリスト教とイスラム教は同根の宗教というと人は信じない。しかし、ともに旧約聖書から発した一神教である。同根なるがゆえに相容れない相克の歴史を積み重ねてきた。アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンは「文明の衝突」の著書の中で次の八つの文明をあげたが、やはりキリスト教文明とイスラム教文明を対比することに多くのページを割いている。
①ヒンドゥー文明 – 紀元前20年以降インド亜大陸の文化の中心。
②西欧文明 – 西暦8世紀に発生し欧州北米豪州に存在。19世紀から20世紀は世界の中心だったが、今後、中華、イスラム圏に対して守勢に立たされるため団結する必要がある。
③ラテンアメリカ文明 – 西欧文明と土着文化の混合体
④日本文明 – 西暦2~5世紀に中華文明から派生。他文明と違い日本一国だけで成立する孤立文明。
⑤東方正教会文明 – 西暦16世紀にビザンチン文明を親とし発生。中華、イスラム圏の脅威には対抗しきれないため、西欧が保護するべき。
⑥中華文明 – 紀元前15世紀には存在。中国および、朝鮮、ベトナム、シンガポール、台湾。今後国外在住の中国人社会も通じ影響力を増していく。
⑦イスラム文明 – 西暦7世紀から現れ、現在オイルパワーを背景に影響力を増大中。
⑧アフリカ文明 – 主要な文明研究者のほとんどは明確には認めていない
エチオピアやハイチはどの主要な文明にも属さない(どの国とも文明を共有しない)孤立国である。(ウイキペデイア)
ハンティントンは冷戦が終わった現代世界においては、文明と文明との衝突が対立の主要な軸であると述べた。イラク戦争の緒戦においては、キリスト教文明とイスラム教文明の衝突論がさかんに言われた。
文明と文明が接する断層線(フオルト・ライン)での紛争が激化しやすいという指摘は当たっている。ムンバイの同時多発テロ事件は、ハンティントンが規定した文明と文明が接する断層線でまさしく発生したイスラム教とヒンドゥー教の紛争といえる。
世界三大宗教のひとつである仏教はゴータマ・シッダッタ(釈迦)が開祖だが、2500年前に釈迦が生まれた頃には、インドにはすでにインダス文明の歴史があった。
インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ、時代に従って変化したものがヒンドゥー教だといわれる。歴史が古い民族宗教なのだが、ヒンドゥー教がいつ始まったかについては定かでない。
インダス川はインドとパキスタンにまたがる広大な河谷、4500年昔にいくつかの都市国家が存在している。豊かな流域で麦や綿花を栽培して人々は暮らし、その恵みをもたらすインダスの大河を「シンドウー(大洋)」と呼んだという。
インドにはヒマラヤ山脈の氷河を源として、インド北部を横切り、ベンガル湾に注ぐガンジス川もある。豊かな水は時には洪水をもたらすが、水がひいた後には豊かな耕土を残してくれた。
このインダス文明は3500年昔に衰え、北方から”アーリア”と呼ばれた遊牧民が侵入してきて古代都市国家群を支配下においた。アーリア人は西アジアやヨーロッパの民族と同種だといわれている。
アーリア人が征服の過程で神々を讃える叙事詩「リグ・ヴェーダ」を作ったが、まず神々をまつる司祭をバラモンと呼んで、人々の最上位に置いた。次いで武力を持つ王族・戦士をクシャトリアと称して、バラモンとクシャトリアが支配階層となった。
これがインドのカーストと呼ばれる階層社会の始まりである。
支配される側は商人・農民のヴァイシャ(第三階層)と職人・奴隷のシュードラ(第四階層)。日本の江戸時代に形成された「士農工商」の階層社会と似ている。
砂漠で生まれたキリスト教やイスラム教には一神教の厳しさがある。豊かなインダス川の恵みの中で生まれ、育ったヒンドゥー教は砂漠の宗教とは違う趣きがあると説く人が仏教家に多い。
だがインド国内におけるイスラム教徒はカーストの最下層に置かれてきた。それは文明の衝突とは違った次元の話ではないか。江戸末期に頻発した農民一揆と同じ不満層がインド社会の中で爆発している。
カーストの名残りを一掃して近代国家の装いを取らないことには、ムンバイ同時多発テロの温床はいつまでも残ることになる。圧倒的な多数派であるヒンドゥー教徒が自国社会の改革に着手する気にならないことには、火種は永久に残る。