神話の世界の昔氏と天日桙   古澤襄

井上秀雄氏の「古代朝鮮」(NHKブックス)に新羅の三姓始祖神話が出てくる。

<新羅の現実の王・金氏と直接かかわりを持たない朴氏が開国の始祖となり、朴氏七代についで貴族にもない架空の昔氏が八代もつづくというのである>

井上氏は「新羅の神話は王権の絶対性が否定され、村落共同体の秩序を基盤とした政治体制が、新羅全時代を通じて根深く存在していた」と解説している。

歴史学者でない私が井上説をあれこれ言うつもりはない。旧新羅の慶尚道の出である朴槿恵大統領が朴氏七代の末裔と飛躍した論を唱えるつもりも勿論ない。

興味があったのは「架空の昔氏」のことである。言葉を変えれば「神話の世界の昔氏」に興味がある。

「姓氏家系大辞典」(角川書店)の「三宅(ミヤケ)」の項に次の記述がある。

<姓氏録、右京諸蕃に「三宅連。新羅国の王子天日桙の後也」と載せ、また摂津諸蕃に「新羅国の王子天日桙の後也」など見え、古事記、垂仁段に「三宅連などの祖、名は多遅麻毛理」とあり、姓氏録と符号す>と記されている。

付記すれば、新羅国の王子・天日桙は、巫女・阿加流比売を娶ったが、口論の末に阿加流比売は「私はあなたの妻となるべき女ではない」と言って倭国に戻った。美女・阿加流比売を忘れられない天日桙は彼女を追って倭国に渡り住みついたという伝承。韓国にとっては甚だ面白くない伝承といえる。

天日桙が持って来たといわれる宝物は、珠二貫(二個)、浪振比礼、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の八種で、これらの神宝を御神体・出石の八前大神として出石神社に祀られている。

ウイキペデイアに「昔氏の始祖説話」が出ている。

<倭国東北一千里のところにある多婆那国の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流された。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。

箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした。長じて第2代南解・次次雄の娘(阿孝夫人)の女婿となり、のちに王位を譲られた。>

神話の世界だから、史実と一足飛びに飛躍するわけにいかないが、「三国史記」「三国遺事」が伝える新羅第四代の王・脱解(タルヘ)王の神話に同じものがある。

三国遺事=舡中有一櫃子 長二十尺 広十三尺 曳其船置於一樹林下 而未知凶乎吉乎 向天而誓爾 俄而乃開見 有端正男子 井七宝奴婢満載其中 供給七日 逎言曰 我本竜城国人・・・『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 – 1289年)によって書かれた私撰の史書。

三国史記=脱解 本多婆那国所生也 其国在倭国東北一千里・・・『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。

脱解王が新羅第二代の南解王の時に渡来し、第四代王として即位するのは紀元57年と伝えられる。この年に倭奴国が後漢に朝貢している。朝鮮半島で最古の歴史書「三国史記」には、昔于老(ウロ)が倭国の使臣を接待した記述もあるから、昔氏が存在したとみる方がいいのではないか。

しかし昔氏の姓はいまの韓国で発見できない。やはり神話の世界の昔氏ということなのだろうか。新羅で昔氏姓を持った八人の王の中で墓が残って居るのは脱解王陵だけ。脱解王の王子の一人が天日桙と勝手に解釈しているのだが・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です