司馬遼太郎という作家はスケールの大きい”雑学”の大家だったと思うことが屡々ある。日本固有の私小説の世界とはチト違う。雑学という呼称に惑わされて軽く見てはいけない。ひとつの大作を書き上げる過程で様々な資料集めをして、それが記述の中で”独白”の形式をとって、さりげなく語ってくれている。
十年ほど前のことになったが、初めてシベリア奥地の旅行にでた時に「ロシアについて」と「モンゴル紀行」を読んだ。そこでバイカル湖周辺に古代トルコ民族が造った「高車・丁零」という国家があったこと知った。
帰国してから護雅夫教授の「古代トルコ民族史」という論文の集大成を一年がかりで耽読することになった。勢いの赴くまま司馬遼太郎の「韃靼疾風録」や「中国・江南にみち」も読み、いまでは全作品が本棚に並んでいる。多くの人は「坂の上の雲」あたりから司馬小説のフアンになるのではなかろうか。
私の場合は司馬小説の内容に惹かれるというより、その独白に惹かれて司馬小説のフアンになるという異端の読者なのである。私は中国という呼称に違和感を持っている。尊大な中華思想の匂いが気になる。中国という呼称は蒋介石が初めて用いて、人民中国によって普及している。近代以前には無かった呼び名といえる。
多少なりとも卒業論文でドイツ史と支那史のチャンポンを選んだ私だから”支那”という用語に郷愁ともいうべき愛着がある。欧米がチャイナ(ロシアはキタイというが・・・)と呼ぶのに、戦後日本はチャイナが日本語化された支那の用語を何故捨ててしまったのか?迎合以外の何物でもないと久しく思い続けてきた。最初の統一国家である秦から発する支那の用語を日本人は、もっと大切にした方がいいと考えてきた。
司馬遼太郎は違った見解をとる。「中国人は国籍呼称であって、民族呼称ではない」という前提で、人民中国はみずからを多民族国家とみとめ、そのなかの漢民族を単に「漢族」とよび、原則的には単に諸族の一つにおいた点を評価している。にわかに自説を曲げるわけにはいかないが、司馬説も一つの見方だと思っている。
日本の姓氏の発祥に関心がある私だが、司馬遼太郎は中国では有史以来”姓”が存在したと言っている。(中国・江南にみち)古代朝鮮族を含めて中国周辺の諸民族は、ひとしく姓がなかったという。雑学の大家である司馬遼太郎の説だから間違いないとは思うが、他の文献で調べるつもりでいる。
日本の苗字・名字(みょうじ)の歴史は古代に遡ることができる。その八割までが地名に由来するが、現在では二十七万余りにのぼっている。明治維新後に国民のすべてが苗字を持つに至ったが、それ以前は公家、武家階級に限られ、富裕な豪農、豪商は”屋号”と称する準苗字を持つに過ぎない。
司馬説だと日本の苗字・名字も支那から渡来した文化ということになる。おそらく、それが正しいと思うが、それでは最古の苗字は何だろうか。漢字の渡来と同じ時期だったかもしれない。漢字の渡来以前には日本固有の”大和言葉”があった。漢字は「音(おん)」と「訓(くん)」があるから、大和言葉と漢字の融合があったと思われるが、その時期はいつだったろうか。雑学の疑問は尽きない。