「新疆」の名を嫌うウイグル族 古沢襄

中国の新疆ウイグル自治区のカシュガルで起こったテロ事件は、邦人記者二人が中国の武装警官に拘束され、顔を殴られるなど暴行を受ける事件まで発生した。日本人にとって新疆ウイグル自治区は馴染みの薄いところである。

西遊記に出てくる「火焔山」がこの地にあったことを知る人も少ない。新疆ウイグル自治区、陝西省、甘粛省、青海省、寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、さらにパキスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンに続く道はシルクロードの回廊でもある。

ウイグル族の民族自治区とされているが、人口約二〇〇〇万の45%がウイグル族、しかし漢族が急速に増加して41%を占めている。他にカザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)など様々な民族が居住する多民族地域。

ウイグル族は清朝時代に付けられた「新疆」(新しい土地)を忌避して反清反乱を繰り返した。歴史の古さでは漢民族に劣らない古代トルコ民族の末裔。ペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンを唱える。

このウイグル族は中央アジアのタリム盆地に居住する民族で人口は一千万人弱。テュルク諸語のウイグル語を話すムスリム(イスラム教徒)で、居住地域はウイグル語で東トルキスタン(Shärqiy Turkistan)あるいはウイグルスタン(Uyghuristan)と呼んでいる。

人種的にみるとモンゴル高原にいたテュルク系遊牧民と古代にタリム盆地に住み着いたコーカソイド(インド・ヨーロッパ語族)の混血といわれている。コーカソイド系の美女が多い。

西トルキスタン(カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、トルクメニスタン)がソ連領、東トルキスタンが中国領となっている。すでに西トルキスタンは死語となった。

元代地図をみるとトルクメニスタンは伊児汗(イル・カン)国の版図に含まれている。ジンギス汗は大帝国を樹立したが、その過程で自ら二〇万の大軍を率いて中央アジアのホラムズ王国を攻める”大西征”を行っている。

一二一九年から一二二五年にかけて七年間にわたった攻略戦で、侵略した国はトルクメニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン、イラン全域に及んだ。モンゴル騎兵の集団がヨーロッパを目指して突進した侵略の経路が、シルクロードの道でもあった。

興味深いのはカザフ人の祖国がカザフスタン、ウズベク人がウズベキスタン、キルギス人がキルギスタン、アフガン人がアフガニスタンと呼んでいることである。ウイグル人の民族独立運動を唱える人はウイグル人の祖国は、ウイグルスタンと呼ばねばならぬと主張している。

独立運動は要人の暗殺、バスの爆破、警察署の襲撃など過激化していたが、独立派の中でアルカイーダとのかかわりをもつとされる東トルキスタン独立運動が最右翼といわれていた。武器もロケット弾や対戦車砲が押収されたという。

新彊の漢族軍元老だった陶峙岳によって東トルキスタン独立運動は鎮圧されたと伝えられていただけに北京オリンピックを前にしたテロは、北京政府に衝撃を与えたと思う。チベットと新疆ウイグル自治区は、緩やかな連邦国家の制度をとって、民族の自治権を認める方がいいのではないか。

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