政治主導の「脱官僚」は行き過ぎがあった? 古沢襄

菅首相は民主党政権の脱官僚路線について「行き過ぎがあった」と反省の弁を述べた。このところ菅政権は自民党政権かと見間違うくらいの政策変更が次々と打ち出されている。

小選挙区制度下の二大政党は政策面で似てくるというのは識者の見解なのだが、それならわざわざ二つの政党に分かれている必要はあるまい。野党時代の民主党が打ち出したマニフェストの政策は、明らかに自民党の政策とは違う。

政権交代してみたら、財源の裏打ちのないマニフェストでは政権の維持が出来ないと覚ったのであろう。それでマニフェストの方はかなぐり捨てて、自民党的な政策に回帰しようというのでは、あまりにも”ご都合主義”と言われても仕方あるまい。

「脱官僚」という民主党政権の錦の御旗はどこにいってしまったのであろうか。それほどまでして政権の座にしがみつこうという心根が卑しい。いっそのこと、野党の自民党が民主党のマニフェストを横取りして、実行可能な政策の旗を掲げたらどうかと、皮肉の一つでも投げかけたくなる。

与謝野馨氏を菅政権に取り込んだのは、こういうことであったのか。自民党にあって与謝野氏はもっとも激しく民主党のマニフェストを批判していた。それを政権に取り込んだのはトロイの木馬を城内に引き入れたに等しい。民主党政権の変質が始まろうとしている。

旧友の屋山太郎氏は民主党の熱心な支持者だった。ローマ特派員から帰朝した屋山氏は、私たちのような政治部育ちのジャーナリストとは一風変わった存在だったが、自民党政治の悪弊をズケズケと小気味のよい表現で批判する魅力があった。佐藤政権の頃である。

屋山氏と私、それにNHKの政治記者から園田直外相の秘書官に転じた渡部亮次郎氏、毎日新聞政治部長から安倍晋太郎氏の秘書になったコンちゃんこと金巌氏の四人で両国のちゃんこ料理屋でよく飲んだ。屋山氏は政治評論家に華麗な転身を遂げたので、仲間の三人はマスコミからの途中下車組。私だけが取り残された。

四人が集まると談論風発、だが私はもっぱら聞き役に徹した。やはり異才を放っていたのは屋山氏だった。「日本の政治の害悪である官僚支配を打破するのは民主党政権しかいない」と自説を唱えて譲らない。コンちゃんは安倍晋太郎政権の誕生を目前にしていた。総理秘書官が約束されていた様なものだから、あえて異論を唱えずに屋山説に耳を傾けて酒を飲んでいた。あの時代が懐かしい。

その屋山氏がいまでは民主党をけちょんけちょんに叩いている。屋山氏の目には菅政権が、結局は官僚支配に戻ろうとしていると映る。菅首相が脱官僚路線をめぐって「行き過ぎがあった」と反省するなどとは論外だということであろう。目をクルクル回して、小気味のいい批判論を展開する屋山氏は昔も今も変わらない。

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