出雲大社と「葬られた王朝 古代出雲の謎」  古澤襄

<60年ぶりに社殿などを大規模に改修する「平成の大遷宮」が行われている島根県の出雲大社で、改修が行われた本殿に祭神の大国主命を戻す「本殿遷座祭」が10日夜、行われました。

島根県出雲市の出雲大社では、およそ60年に1度、社殿などの大規模な改修を行っていて、今回の平成の大遷宮では、5年間をかけて本殿の改修が行われました。

10日の夜は、改修の間、仮殿に移されていた出雲大社の祭神の大国主命が本殿に戻される本殿遷座祭が60年ぶりに行われ、およそ1万2000人の参列者が全国から集まりました。

大国主命を乗せたみこしは、「絹垣」と呼ばれる白い布で周りを囲まれ、真っ暗になった境内を、神職や氏子などおよそ260人の行列に守られながら進みました。

そして、みこしが本殿に入ると、神職が掛け声を上げて、大国主命が無事に戻ったことを告げました。このあと、千家尊祐宮司が祝詞を上げ、2人の「みこ」が、鈴を鳴らしながら舞を奉納しました。

集まった参列者は、暗闇の中で厳かに行われる儀式を、厳粛な表情で見守っていました。(NHK)>

出雲大社の祭神・大国主命を戻す「本殿遷座祭」を伝えるNHKニュースである。各メデイアも同様のニュースを伝えた。

大国主命・・・『古事記』『日本書紀』に登場する神なのだが、『日本書紀』ではスサノオの息子とされている。高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主催者となり、顕界から姿を隠したことになっている古代神話の神。

梅原猛氏は「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」の著作(2010年 新潮社)で、出雲平野で王朝を繁栄させたオオクニヌシについて「出雲国風土記」に光を当てている。『古事記』『日本書紀』はヤマト王朝の神話だから、出雲王朝の真実を探るためには「出雲国風土記」などを読みとることが欠かせない。

ウイキペデイアは大国主命が顕界から姿を隠した、すなわち、自決してこの世を去ったのであり、国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいうと、ズバリ指摘している。

古代日本の歴史研究者にとって出雲王朝は、ヤマト王朝を脅かす一方の巨大権力だったとする説がある。地理的にも朝鮮半島との交流が盛んだったろう。青銅器文明が早くから流入し、いまでも遺跡発掘で発見されている。鉄器文明を持ったヤマト王朝と衝突して滅びたと想定される。

とはいうものの出雲王朝の存在は、ヤマト王朝によって多くが消されて、それが古代日本の謎となり神話となって伝わってきた。歴史は勝利者の足跡が伝わり、敗者の足跡はその土地に伝わる伝承からしか求められない。古代東北の歴史にもそれが現れている。

それだけに古代日本の出雲王朝については、これからも研究者によって解明が続くであろう。そんな思いで出雲大社の祭神・大国主命を戻す「本殿遷座祭」のニュースを聴いている。

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