先日、久し振りに風呂に入った。と言ってもシャワーだが、43度のお湯を浴びて、全身をシャボンでしっかり洗った。20分もかかったから、風呂嫌いの小生にとってはほとんどショック体験である。
下着はしょっちゅう代えるし、ウォシュレットでお下はきれいにしているし、冬場の今は汗もかかないから「風呂なんてどうでもいいや」と、週に1回、5分のシャワーですませていたが、2週間も経つと頭が痒くなり、そのうち体が痒くなる。で、時々仕方なく全身をきれいに洗うのである。
他者からすれば典型的な加齢臭がするだろうなあ。「うー、きたねーヂヂイだ」なんて言わずに「地球に優しいエコライフ」と呼んでくれ。
普通の日本人は風呂が大好きで、昔から温泉では朝から夜まで銭湯に浸かっていたようだが、おそらくこの世に稀な風呂好き民族だろう。高温多湿という背景もあるだろう。
東京ガスのサイトには「日本の入浴中急死者数は世界のワースト1」とこうあった。
<日本では1年に30,000件もの入浴事故があり、そのうち14,000人もの方が入浴中に亡くなられています(東京救急協会)。
その多くが高齢者です。この数字を外国と比べると、日本は世界のトップ。しかも日本の溺死死亡率は世界でも飛び抜けて高いのです>
小生も夕べは2週間ぶりに湯船に入った。ただ浸かるだけだが、全身ぽかぽか、とても気持ちがいい。このまま昇天しても悔いはない。入浴中に死ぬなんて結構幸せな最後ではないか。
死亡率のデータから類推すると、日本に続く風呂好き国民はギリシャ、ロシア、メキシコ、韓国、スペイン、フランス、イタリア、米国、ドイツのようだ。酒がうまそうな国ばかりだから、酔って入浴してポックリの「UNP」かもしれない。
砂漠の民や定住しない民族はそもそも湯船に入る機会はないだろう。一生に一度くらいしか体験しないのではないか。湯船がないだろうから入浴中の溺死なんてありえない。
欧州で香水が発達したのは入浴する習慣が特定時期を除いてなかったからで、かなりの期間が「不潔の時代」だったそうだ。何と1850年頃までせいぜい水浴び、湯浴みと“清拭”ですませていたという。
♪小原庄助さん なんで身上つぶした
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで
それで身上つぶした
もっともだ もっともだ
日本人は世界屈指の風呂好きだろう。東京税関によると入浴剤などの輸入もずいぶん増えているそうだ。その背景をこう説明している。
<入浴には、皮膚を清潔にし、血液やリンパの循環を促進し、心身の疲労や緊張を和らげるなどの効果があると言われています。また、最近では入浴そのものを、癒しの空間として捉える傾向が強くなってきているとも言われています。
独り暮らしの若者などの間では、半身浴をしながら、肌の手入れや美容体操はもちろん、雑誌や音楽を楽しみながら、ゆったりと入浴タイムを楽しむ人も増えてきています。
このため、薬局などでも、香りを楽しむ石鹸や入浴剤といった癒し系の入浴用品の品揃えも豊富になってきているようです。冷えた体を温めるには、温かいお風呂が一番です>
終日いろいろな風呂を楽しむ「スーパー銭湯」「健康ランド」などもあり、もはや風呂のレベルを超えたレジャー施設といえるだろう。カラオケのように世界中に広まってもおかしくはないだろうが、他人と一緒に
全裸で浸かる習慣は外国にもあるのだろうか。
ヨーロッパでは入浴は紀元前3000年にさかのぼるというが、宗教的な沐浴であったようだ。湯や蒸気で体を清潔にするという一般的な意味で入浴が始まったのは紀元前500年のギリシャから。江原翠著「オスマン帝国の庶民娯楽―HAMAM―」にはこうある。
<紀元前5世紀頃のギリシャ人はすでに公衆浴場を持っていた。紀元前2世紀ごろになるとローマ人にも洗浄だけを目的とした浴場が見られるようになった。
紀元前1世紀になると「洗浄」だけではなく娯楽や社交の場所としての公衆浴場へ変化した>
「3世紀頃からこの入浴文化は衰退し始めた」のだという。多神教のローマ帝国だったが、一神教のキリスト教に徐々に乗っ取られたためである。ついにはキリスト教はローマ帝国の国教になってしまった(380年)。恐しいことである。
移民を安易に受け入れたり、外国人参政権を与えるとろくなことにならないものである。
<ローマ帝国が衰退すると、キリスト教の影響力が大きくなりました。キリスト教は肉体的快楽に対して極めて禁欲な宗教です。
このような宗教では、裸を見たり見せたりすることは、性に対しての禁止事項であり自分の裸を見ることすら、憚れることでした。
そのため、キリスト教にとって男女混浴など問題外でした。キリスト教会からしてみれば、男女混浴で社交場であったローマ風呂など許しがたいものでした>(SOAP PROSPER せっけん専門店 吉祥寺)
中世以降、特に近世はその禁欲的な考えが強くなって、司教の中には自ら生涯浴槽に入ることを神に誓って禁じた人もいたほどだったという。「風呂断ち」である。俺より汚そうである。
皮膚の穴からペスト菌などが入って病気になると信じられたからだが、ヨーロッパにおける入浴文化は衰退するばかりだ。
入浴は「悪徳」で、排泄と同じような「秘事」になってしまった。疫病への恐れから、体の清潔を保つのは専ら洗面器で洗うとか、体を拭くくらいで、体臭を隠すために香水が発達したことはよく知られている。
それが何と基本的に19世紀半ば、日本の幕末まで続いたというから驚きだ。「不潔の時代」が長かった。西洋人の入浴は個室のシャワーに閉じ込められて今に続いている。
一方、我が国ではどうか。ヨーロッパとはまったく逆に入浴文化が花開く。
<お風呂の歴史は大変古く、始まりは6世紀に渡来した仏教の沐浴。仏教では汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事と沐浴の功徳を説いたと言われ、多くの寺院で浴堂を構え「施浴」が行われたと言われています。
また、入浴は「七病を除き七福を得る」という教えもあり、寺院へ参詣する客を入浴させたとも言われています。なかには、入浴を目的としてお寺へ出かけた人もいたかもしれません>(ツムラ)
江戸時代に「湯」と「風呂」(蒸し風呂)が合体し「湯屋」、今で言う「銭湯」が普及していく。湯船は「五右衛門風呂」が主流だったようだ。都市部で湯屋が普及したのは防火対策もあって奨励されたようである。
なお、ローマの風呂の構造と入浴法はオスマントルコ帝国のイスラム社会が受け入れた。
<イスラムの浴場は日本人になじみのある温浴であり、身を沈めて入浴するところが共通する。そして、くつろぎや娯楽、社交と情報交換の場というのも銭湯と通ずる。そこがシャワーで済ませる欧米との違いでもあろう。イスラムの入浴方法は意外と日本と似ている>(浴場から見たイスラム文化)
湯治や美容を目的としたスパ施設を除くと、みんなで裸で楽しむ公衆浴場のある国は日本、トルコ、ロシア、フィンランド、韓国くらいのようだ。
「ひとつ鍋をつつく」とか風呂での「裸の付き合い」は「和をもって尊しとなす」日本人にはぴったりだろう。遊女やら湯女の伝統を引き継いだと思えばソープランドもなにやら奥ゆかしい。今でも姫たちは三つ指ついて客を迎えているだろうか。