19世紀の初め鎖国日本では、長崎だけが唯一の外国との接点地で特にオランダとは密接な関係にありましたが、このころになると相次いで、長崎にアメリカ船、イギリス船が姿を見せるようになりました。
そして半世紀たった1853年(嘉永6年)には、ペリー艦長率いる蒸気船が浦賀に現われ開国を要求し、ロシア使節プチャーチンは長崎に来航し開港を要求しました。
翌年1854年(安政1年)ペリーが再来日し日米和親条約が結ばれ下田・函館の二港が開港となり鎖国体制が崩壊し、幕末明治維新へと進んでいきます。
1859年(安政6)5月には英国の総領事オールコックが着任、翌年1860年には幕府の咸臨丸はアメリカへ向かいました。
1864年(元治元年)8月にはアメリカ・フランス・イギリス・そしてオランダの四か国が下関を砲撃、フランスも本格的な利権の取得のために活動を始めます。
ひとたびアメリカに門戸を開かれるとこのように西洋の主だった国がそれぞれの思惑の中に日本に来たのですが、イタリアとは1866年(慶応2年)7月に日伊修好通商条約を結びました。
神秘の国・日本、諸外国では時ならぬ日本ブームが花開き多くの見聞記が出版されました。
イタリアではヴィットリオ・アルミニヨンという海軍中佐が訪れた慶応2年ごろの日本の様子を綴った見聞記『イタリア使節の幕末見聞記』を出版(1869年)しています。その中で日本の宗教については、知りえた知識、目撃状況を次のように書いています。
日本人は仏教を信奉している。仏教は、予言者的、福音主義的キリスト教の退廃した形ともいいうるもので、不条理な宗礼と哲学的箴言の混淆である。
日本人は、中国人やインド人と同じく、四つの主たる仏、すなわち阿弥陀・釈迦・観音・地蔵を信仰している。阿弥陀は中国の諸仏中のもっとも古いものの一つであり、極楽の最高支配者である。日本人は神秘的な形式のもとに、この仏を拝み、僧侶らは庶民を善導するために多くの語を語って聞かせる。
釈迦はシャム(実は釈迦はネパールの刹帝利古種族・釈迦族の王子といわれる)に生まれた。彼を産んだのは処女の母であったが、非常な難産であったため、彼を産み落とすと同時に死亡した。釈迦は永年にわたり、極めて厳しい苦行を行った。
伝説によれば、彼は中国に赴いて阿弥陀の教えを説き、宗教書を書いた。この書は孔子の教えに劣らず熱く信仰されている。彼は布教の旅を日本で終えたが、この国の最初の立法者になったといわれる。
観音さまについては、日本人は六十六本の腕と百の手とを付けてこれを描く。この仏は太陽と月をつくり、大空に光を与えた。
聖職者・つまり僧侶は、よく組織された階級制を有している。これは、強力で永続的な社会組織すべてに必要なことである。この階級制はカトリック教会のそれに酷似している。僧侶は正規僧と俗僧に分かれ、その上にツンドがいる。これはカトリックの司祭に相当し、僧侶を任命し、これにいけにえを捧げる資格を与える権限を持つ。
普通、ツンドは僧院または教団の長である。日本の教団は、説を異にし、互いに反目し合う幾つも集派に分かれている。各宗派は僧侶のまとう衣の色で見分けられる。僧侶の衣は・西洋の昔の陰修士のそれに幾分似ている。
阿弥陀の僧侶は霊魂の不滅を信じている。この僧侶たちは上層階級の出身で、廉潔の聞こえ高く、政治的にも大きな勢カを有している。彼らは厳しい規律に服し、ヨーロッパのかつての騎士修道会の騎士と同じように武器を携えている。
釈迦の僧侶たちも規則正しいことで尊敬されている。彼らは夜半に集い、のどの奥から出るような声で仏をたたえる歌を唱える。また、僧院長が毎日説くところの道徳やや哲学の間題について瞑想にふける。
これらの僧侶の中のある者は、かなりの学識があり、若い子弟を教育する。また、ある者は禁欲生活を送り、回教の僧のように苛酷な苦行をおのれに課する。さらにまた、ある者は托鉢によって生き、死人のような顔色をしている。これらの僧侶は、たとえ身体が清潔であつても、その姿は不気味なものである。
しかし、正規僧の大半は放埓(ほうらつ)な生活をしており、僧院内に、彼らの宗旨を奉じる尼僧を置いている。これらの尼僧のうち、禁欲節制の誓いを立てる者は少ない。また、ある者たちは、自分の属する寺院に処女性を売り渡し、寺の財源となっている。
仏教には、さまざまな仏と偶像があるにもかかわらず、日本国の政治組織は神道を基礎としている。神道とは神の道であり、往古の君主を神として祭り、祖先への崇拝を旨とする。
日本人は無数の精霊の存在を認めるが、この精霊は大気中を浮遊しているとされ、それがどういう性質を持っものかは知られていない。精霊は感知できる姿をもって現われることもあり、あるいは生き物となって現われることもある。先祖の霊魂は、生きている者たちの中に住み、子孫の平安と幸福を見守るものとされる。
神道の教理によれば、死は人知碧超える神秘であり、人間は現在への不安と未来についての暗黒の中で生きなければならない。そこで人間は、適度の快楽を求めながら、この世を楽しく生きることを主な目的とすることになる。
その際・悪霊を鎮め、その黙りを避けるように注意する。ピタゴラスの唱えた古い学説である輪廻の思想は、神道の教えと一致している。死者の霊魂が何かの動物の体内に転生するということを信じるために、日本人は動物の肉を食用としない。庶民は魚と米と野菜を常食とし、富者の食卓にも家禽(かきん)の肉がたまに上るだけである。
日本の最高の神は天照大神である。この女神を始祖として何人かの神または半神が続き、その最後が神武であり、初代の天皇となった人物である。この天皇は別名を神日本磐余彦尊と称し、そののちの代々の後継者は御門(ミカド)という称号をとなえるに至った。
誰もが気づくように、日本の神々の系譜は、オクタヴイアヌス.アウグストウスの後継者たるローマの帝国内に行わせようと図ったものと幾分類似している。当時、ローマの元老院は、アウグストゥス・リヴィウス・ティベリウスなど物故した皇帝およびそれらの後継者たる現在の皇帝に関し、彼らを神として遇し、神殿を作り、神官に任命する旨の布告を行った。
しかし、日本の天皇は、俗権のほかに神権をも併せ持ち、神の子孫と信じられるために無制限の権威を与えられている。そして、その住居は内裏(すなわち、皇居)とよばれている。(『イタリア使節の幕末見聞記』大久保昭男訳 新人物往来社P162~P164)
内容的におかしな部分もありますが、当時の日本の様子を知ることができます。
イタリアという国は、日本に何を求めたかと言うと蚕だということです。ヨーロッパでは1850年代の終わりごろから60年初頭にかけ蚕の卵に悪疫病が発生し、イタリア・フランスの養蚕業は打撃を受けてました。イタリアは日本の卵が評判がいいので通商条約を結び本格的に輸入することにしたようです。
幕末期でたまたま読んだ本の中に宗教関係の記述がありましたので紹介しました。