年表 古沢元・真喜夫婦作家を生んだ大地と人たち(2) 吉田仁・古沢襄共編

■1868年(慶応4・明治1)
*1月27日・旧暦1月3日,戊辰戦争が起こる
*6月22日・旧暦5月3日,奥羽越列藩同盟が成立
*盛岡藩は維新政府軍に降伏

■1869年(明2)
*6月27日・旧暦5月18日,五稜郭の榎本武揚軍が降伏し,戊辰戦争が終わる
*7月25日・旧暦6月17日,版籍奉還
*10月14日 改名の布告・通達で「何兵衛、何左衛門・・等之名相用居候者、相改可申事」と布達される
◇改名通達により、百姓名の善治(古澤屋)は古澤善治となる
◇改名通達により、小作仁五郎は分家し、古澤仁五郎。この家系から,のちの沢内村助役古澤吾一が出る

■1870年(明3)
*8月6日・旧暦7月10日,盛岡県が設置される
*10月13日・旧暦9月19日,政府は平民に苗字の使用を許可
■1872年(明5)
◎このころ,木村義哉(11歳)が上京。商家で仕事見習い。士族の商法といわれた
■1873年(明6)
◇馬肝入制が廃止され,善治は新たに設けられた牛馬取締役に就任(『沢内村史』下巻504頁)
◇検地示談書・古澤善治(『沢内村史』下巻606頁)

■1875年(明8)
◇牛馬取締役の制度が廃止される
■1877年(明10)
◇7月4日(旧暦8月12日)、5代善治が死去,享年65,戒名は喜徳院教雲良海居士
■1878年(明11)
◇4月11日、善治の妻クマが死去,享年62、戒名は教海清雲大姉
◎木村義哉(17歳?)が信州上田に帰郷

■1879年(明12)
◎2月,木村瀬戸物店(のち木村陶器店と改称)が長野県小県郡上田町(現・上田市)土橋に開業。古澤元の妻真喜の実家で,創業者は真喜の祖父である木村義哉
◇10月6日為田文太郎とコトが結婚
◇12月3日、古澤元の祖父・7代目善五郎(28歳)の長女シケが生まれる
■1880年(明13)
*盛岡中学が創立される
◇9月9日、為田文太郎の長女ヒテ誕生(朝日新聞OBの為田英一郎の祖母)

■1881年(明14)
◇9月7日、古澤元の父で8代目の勇(改名して行道)が生まれる。善五郎30歳のとき
■1883年(明16)
☆4月3日。北一輝(幼名輝次)生まれる。北慶太郎の長男。古澤襄の妻になる石塚恵子の実家はその分家
◇9月17日、為田文太郎の長男文造が誕生
■1886年(明19)
*2月20日、石川啄木誕生
◇11月18日、為田文太郎の次男荘吾が誕生

■1887年(明20)
◎12月6日,木村義哉・レイ(金偏に隣の旁:パソコン辞書になし)の長女として木村静司(しずし)が生まれる。真喜の母
■1888年(明21)
◇沢内村請願、村議・古澤善五郎(『沢内村史』下巻801頁)
◇1月15日、為田文太郎の次女トヨが誕生(のちの行道妻,古澤元の母)が生まれる
■1889年(明22)
*大日本帝国憲法が発布される
◇市町村の再編により新町・大野・前郷・太田・猿橋川舟が合併して沢内村が誕生。初代村長は為田文太郎。村役場を代官所のあった村の南端新町地区に置き,村要職を新町地区の者で独占したことから,やがて北派・南派の抗争を生んだ

■1890年(明23)
◇3月6日、善五郎・マサの次男,行道の弟,古澤元の叔父になる孝三が生まれる。孝三は,のちに古澤元の父行道が横死すると,その未亡人トヨと結婚して分家し,古澤本家の総領古澤元の後見人(小説中で義父と書かれる場合があるが,戸籍上は叔父のまま)となる
■1892年(明25)
◎3月23日,木村義哉の妻レイが死去
■1893年(明26)
◇村会議事録九番古澤善五郎(『沢内村史』下巻859頁)
◎6月30日、木村義哉がレイの妹の治家(はるや)と再婚。店舗を原町(現在の上田市中央)に移転

■1894年(明27)
*朝鮮で東学党の乱(甲午農民戦争)が勃発
*7月,豊島沖海戦
*8月1日,日本は清国に対し宣戦布告(日清戦争)
■1895年(明28)
◇村会議事録九番古澤善五郎(『沢内村史』下巻862頁)
■1896年(明29)
*8月27日、宮沢賢治誕生

■1897年(明30)
◇沢内村会議員古澤善五郎
◎1月6日,木村義哉と後妻治家の間に長男健雄が生まれるが2ヶ月で早世
■1898年(明31)

◇3月26日、古澤シケと新町・刈田新蔵の次男与吉(養子)婚姻
*4月25日、石川啄木が盛岡尋常中学校に入学
◇7月20日 シケ長男巌が誕生

■1901年(明34)
◇沢内村役場を新町から太田に移転する建議案が出る
■1902年(明35)
◇1月、青森第五連隊が八甲田山の雪中行軍で遭難
◇1月25日、遭難兵士に沢内村出身の菊池連次郎上等兵、村葬

■1903年(明36)
◇2月27日 シケ次男純二が誕生
◇村内抗争のすえ,第6代の米沢伊作村長の代に沢内村役場が太田に移転、北派の勝利
■1904年(明37)
*2月10日,日露戦争が始まる
■1905年(明38)
◇2月28日、古澤行道と為田文太郎次女トヨが結婚
◇3月2日、行道(25歳)・トヨの長男として通太郎(夭折)が生まれる
◇9月3日 シケ三男勝己が誕生

■1906年(明39)
◇2月20日、古澤シケが分家
■1907年(明40) 元(本名 玉次郎)1歳(数え年)
*2月18日,高見順が福井県に生まれる
◇7月22日、古澤元の曾祖父勇治の後妻トメが死去、享年64歳、戒名は是真院唯参妙念清大姉
◇12月11日,古澤家9代目,のちに作家古澤元となる玉次郎が岩手県和賀郡沢内村大字新町に生まれる。古澤家8代目行道(27歳)とトヨの次男【以下,古澤玉次郎は元もしくは古澤元と表記】

■1909年(明42) 元3歳
*4月、宮沢賢治が県立盛岡中学に入学
◇9月19日、古澤行道・トヨの3男で古澤元の弟の行夫が生まれる。のちの漫画家岸丈夫
■1910年(明43) 元4歳・真喜1歳(数え年)
◎1月6日,戸籍上の記録ではこの日に木村静司は山崎由信(よしのぶ)を婿養子に迎えているが,実質の結婚は1年以上前と思われる。山崎由信は更級郡上山田村の豪農の三男で中学・高校を東京で学んだ
◎1月9日,のち古澤元の妻となる木村真喜が由信・静司の長女として生まれる。その日から祖父義哉・祖母治の手で木村家の跡継ぎとして育てられ,実母静司を姉と呼ばされた
◇12月11日,古澤元満3歳

■1911年(明44)
◎1月9日,真喜満1歳
*8月21日,警視庁が特別高等課を設置。いわゆる特高である
◎1901年(明34)創立の上田女学校が県立上田高等女学校と改称(現・染谷丘高校)
◇12月10日、古澤行道・トヨの長男の通太郎が夭折,享年7歳。以後,次男の元が総領として育てられる
◇12月11日,古澤元満4歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です