太陽黒点が少ない活動極小期に巨大地震が発生  古沢襄

少し怖ーい話をすると、太陽黒点の減少で巨大地震が増加するという分析結果がある。2011年の東北地方太平洋沖地震は太陽黒点が少ない時期に発生している。つまり太陽活動が地球の内部にまで影響を及ぼしていることになる。

九州大学宙空環境研究センターの分析によると、太陽黒点が少ない活動極小期に巨大地震の発生頻度が上昇することが分かった。(ウイキペデイア)

この分析データは1963年から2000年のもので、約11年周期で訪れる太陽黒点数最小期の2年間にM4.0~4.9の地震の65%が発生、M5.0~5.9、M6.0~6.9、M7.0~7.9でもほぼ同様の割合だったが、M8.0以上の巨大地震に至っては全28回のうち79%が最小期に発生していた。

また、太陽黒点が少ない時期における月3~4回の強い太陽風発生時には、M6.0以上の地震の70%が発生している。

黒点数は、多い時(極大期)には100~200に達するが、少ない時(極小期)はゼロに近くなる。組織的な太陽観測が始まった1750年から数えて第23番目の黒点周期は、1996年頃の極小期に始まり、2000年頃に極大期(黒点数は120程度)となり、 2007~2008年頃の極小期で終わったとされた。

さて、マウンダー極小期のことを「太陽観測衛星”ひので”、太陽極域磁場の反転を捉えた 古沢襄」で書いた。これをお復習い(おさらい)すると、マウンダー極小期はおおよそ1645年から1715年の太陽黒点数が著しく減少した期間の名称で、太陽天文学の研究者で黒点現象の消失について過去の記録を研究したエドワード・マウンダーの名前に因む。

2010年、東京大学名古屋大学・名古屋工業大学の研究チームが、この時期の日本(江戸時代初期)は周期的に雨が多い湿潤な気候であったと奈良県内の老木の年輪を分析して結論付け、論文にまとめた

そこでおおよそ1645年から1715年の間に日本で何があったかの検証になる。この時期は、江戸時代の初期、日本列島は寒冷期の最中にあった。江戸を震撼させた富士山の宝永大噴火が1707年。まさにマウンダー極小期における宝永大噴火だった。

地震とは関係ないが、寛永の大飢饉(1642年~1643年)、延宝の飢饉(1674年~1675年)、天和の飢饉(1682年~1683年)が、この時期に起こった。

マウンダー極小期における大地震と津波は古文献に頼るしかないが、巨大地震では「元禄地震と津波」「宝永地震と津波」がある。これはウイキペデイアが詳しい

■元禄大地震(げんろくおおじしん、げんろくだいじしん)=元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った大地震。震源は房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は8.1と推定されている。

大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と同タイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の関東地震と考えられている。ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。

江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震が頻発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.7と推定される宝永地震も発生している。

■宝永地震(ほうえいじしん)=江戸時代の宝永4年丁亥10月4日壬午の午下刻 – 未上刻(1707年10月28日13 – 14時頃、遠州灘沖から紀伊半島沖(北緯33.2度、東経135.9度を震源として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、かつては記録に残る日本最大級の地震とされてきた。地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)と呼ばれる。

南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、慶長9年(1605年)の慶長地震、嘉永7年(1854年)の安政東海地震および安政南海地震が知られている。また、宝永地震の4年前(1703年)には元号を「宝永」へと改元するに至らしめた関東地震の一つである元禄地震が発生している

仏AFPが昨年六月にワシントンから次のような記事を送ってきた。

【6月16日 AFP】太陽黒点の増減に周期があることは、よく知られているが、太陽活動が近く休止期に入る可能性があると、米ニューメキシコ(New Mexico)州ラスクルーセス(Las Cruces)で開かれた米国天文学会(American Astronomical Society、AAS)の太陽物理学部門の会合で、天文学者らが指摘した。
 
黒点が著しく減少する太陽活動の休止期は17世紀以来はじめてで、このような時期には、わずかだが地球の気温が低下する可能性がある。

数年前から天文学者たちは、太陽は2012年前後に激しいフレア活動や黒点増加がみられる活動極大期を迎えると予想してきた。しかし最近、太陽はその予測とは正反対に、異様な静けさを見せている。

そのしるしとしては、ジェット気流や黒点の消滅、極点付近での活動低下などがある。米国立太陽観測所(National Solar Observatory)のフランク・ヒル(Frank Hill)氏によると、極めて珍しい予測外の現象で、今後、黒点周期は休止期に入るとみられるという。

太陽活動は、ほぼ11年周期で変動を続けており、22年ごとの磁場極性反転の中間期に、それぞれ活動極大期と極小期が現れる。

天文学者らは現在、近く訪れるとみられる太陽活動の休止期がモーンダー(Maunder)と呼ばれる70年間続く活動極小期にあたるのかどうかを調べている。モーンダーの期間は黒点がほとんど観測されない。前回のモーンダー期だった1645年から1715年は「小氷期」とも呼ばれている。(AFP)

昨年六月の研究発表なのだが、①太陽は2012年前後に激しいフレア活動や黒点増加がみられる活動極大期を迎えると予想してきた②しかし最近、太陽はその予測とは正反対に、異様な静けさを見せている・・・と指摘した。

2012年は太陽黒点が増加をみられる活動極大期を迎えるという予測が見事に外れたことになる。むしろ1600年代に黒点が非常に少ない時期が70年近く続いた「マウンダー極小期」(1645年頃~1715年頃)が再来する可能性も取り沙汰されているのが現状である。

いたずらに危機感を煽るつもりはないが、2060年頃をピークにした地球の温暖化が、長期的な寒冷化に転じている可能性があることと、太陽活動が低下傾向を示した時期に巨大地震や大津波が発生した歴史的な事実を振り返ることが必要ではないか。

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