傘寿(さんじゅ)は数え年齢でいうから昨年のうちに、とうに越えた。その数え年齢でいうと81歳、おまけに血液のガンである骨髄腫の身だから、身体の方はこの10年来ガタがきている。それでもボケが目立たないのは生来、好奇心が人一倍旺盛なせいだろう。
何かというと、本の山に埋もれて資料探しに熱中する。昨年は両眼の白内障の手術を受けて、おまけに老眼鏡を新調した。これで古書を読むのが、かなり楽になった。個人の趣味の資料探しだから、世間の関心事とはズレていることが多いのだが、それはおかまいなし。
NHK大河ドラマの”平清盛”はいよいよ佳境に入ったが、視聴率は芳しくない。三日は埼玉スタジアム史上最多の6万3551人が入ったサッカー・オマーン戦と放映時間が重なったから、ガラガラの映画館で大河ドラマを観る気分に襲われた。
敗戦後、戸山高校のサッカー部を作って、都立高校のリーグ戦に出たからサッカーにはもちろん関心があるが、同じ放映時間でどちらを選ぶと選択を迫られば、迷いなくガラガラの映画館の方に入ってしまう。
ガラガラの映画館といえば、野田内閣の支持率もそれに近い。先行きがどうなるのか、メデイアの評価も定まらないが、結構、関心を持って眺めている。
”平清盛”に戻る。保元、平治の乱は、合戦の規模としては200騎、300騎の小競り合いだから、面白みに欠ける。源平合戦のようなダイナミックな戦闘でないから、大河ドラマのテーマにはなりにくい。むしろ信西という稀代の策士が後白河天皇と結んで、栄華を誇った摂関家を凋落に追い込み、権力を奪取する過程が面白い。
信西は家柄も低く、しかも入道の身である。後白河天皇の乳母の夫というだけで驚天動地の策を弄する。次回には保元三年に後白河天皇が突然、譲位の場面が出てくる筈である。崇徳上皇を讃岐に遠流(おんる)の処断に付して、久々に天皇親政の治世が続くとみられた時に、守仁親王に位を譲り、上皇・天皇併存の時代に戻している。
時に二条天皇(守仁親王)は16歳、後白河上皇は32歳。後白河院政が始まると信西は無双の近臣として、さらに権力を掌握した。
清盛は保元の乱で崇徳上皇側についた叔父の平忠正と子息の長盛、忠綱、正綱らの助命嘆願を信西にしているが、信西はこれを冷たく退けて六波羅で斬首の刑に処すよう清盛に命じた。薬子(くすこ)の乱以来途絶えていた死刑を信西は復活したのである。
信西は摂関家の爪牙として勢力を広げてきた源氏を押さえるために、源義朝に父・為義の斬首の刑を命じただけでなく、為義の子・乙若(13歳)、亀若(11歳)、鶴若(9歳)、天王(7歳)を探し出して、ことごとく斬首している。これによって保元の乱で功績が第一といわれた義朝が、むしろ孤立化した。逆に清盛は平家の頭領として地歩を固めることになっている。
いまの野田政権で信西に比すべき策謀家がいるだろうか。もっとも信西は続く平治の乱のクーデタで義朝方によって殺された。熊野参詣の途にあった清盛は難を逃れ、後白河上皇、二条天皇も脱出して清盛を官軍の総大将とする反撃が始まる。