1 極東に咲いた江戸の花
みなさん、こんにちは。今日は江戸時代の話をこれから進めていきます。
しばらく前に、江戸開府400年という年がめぐってきました。ご記憶の方もおいでかもしれません。江戸時代には、伊勢神宮は例外として、いちばん大事な神社といいますと、日光東照宮でした。徳川家康公の御霊をお祀りしているところです。全国に東照宮は40ほどあります。東京は上野に上野の東照宮があります。東照宮連合会がありますが、江戸開府400年を記念して事業を行おうということから、江戸研究学会をつくるということになって、私が以前から江戸時代が世界でもっとも素晴らしい時代だったということを書いたり、話したりしていた関係から、会長を引き受けております。
江戸研究学会は、いまでも日光東照宮の社務所に本部をおいています。最近は活動をさぼっておりますが、はじめは理事に東京江戸博物館の竹内館長もメンバーで、東京江戸博物館で江戸時代についてのシンポジウムや講演会などを行っていました。
なぜ江戸がすばらしい社会を形成していたのかといいますと、なんといっても260年近く平和が続いたことがあげられます。これは世界で非常にめずらしいことです。その間に島原の乱という、キリスト教徒の天草四郎によって知られる、これは宗教的な反乱ではなくて経済的な理由が原因でしたが、天草の乱を除けば、平和が続きました。こんなことは、世界では他にないことです。
江戸時代ほど庶民が恵まれて、自由奔放に豊かに暮らしていたという社会も、世界に類例のないものです。そういう意味で、私は江戸時代こそ、これからの人類の手本にふさわしいものだと思っています。
いまでも英国の王立演劇団ですとか、全世界で舞台演劇といえば、すべて王侯貴族、支配階級に属したものです。ところが、日本では歌舞伎は「庶民の舞台芸術」でした。ですから武家やその家族は、歌舞伎を観に行くことは禁じられていました。武家の舞台芸術といえば、能楽でした。
私は、歌舞伎の役者に親しい人たちがいますが、昔ですと歌舞伎役者はひとりふたりとは、江戸時代が終わるまで、勘定しませんでした。1匹、2匹と数えて動物扱いしたものでした。けれども歌舞伎が全世界で、もっとも絢爛豪華な舞台芸術だということは、みなさんご承知の通りのことです。
絵画芸術も同じです。日本を除く全世界の絵画芸術は、王侯貴族、支配階級に属するものです。ところがこれまた、日本の浮世絵は、庶民のものです。
2 ジャポニズム
みなさんは、「ジャポニズム」という言葉をご存知だろうと思います。私は絵が好きで、東京駅の八重洲口にブリヂストン美術館がありますが、日本の民間で一番、印象派の絵をたくさん持っている美術館で、私は役員を勤めております。
ジャポニズムとは何か。
19世紀の幕末から、浮世絵が西洋の美術界に大きな影響を及ぼしました。ルノワール、ゴッホ、モネ、ムンク、ロートレック、ドガと、誰をあげても日本の浮世絵の模倣をしています。これがジャポニズムの始まりです。
同じ時期に、女性のドレスのデザインや、室内装飾、庭園造りなどにもジャポニズムの影響が強くあらわれます。次に影響を強く受けたのが、近代建築です。
ブルーノ・タウトというドイツ人の有名な建築家が、戦前に日本にやってきて、東京帝国大学で教鞭もとりました有名な建築家です。タウトが回想録を書いていて、岩波文庫から出ています。ご関心のある方は、読まれると良いと思います。
タウトは伊勢神宮をお参りして、神宮の建築をみて、外容(がいよう)と内容、つまり、外と中のつくりが一致している建築を、はじめて見ました。そして、その感激を、「私は稲妻に打たれたような感動によって身が震えた」、と書いています。
それまでの西洋の建築というと、馬場先門に明治生命の本社ビルがありますが、外壁にデコレーションケーキみたいに、コテコテとした飾りがついたものでした。そういう虚飾をすべてファサード(表面)から取り払ったのが現代建築で、フランスのル・コルビュジエ(Le Corbusier)という
世界的な建築家が提唱した、「装飾のない平滑な壁面処理、西洋の伝統から切り離された合理性や機能性を信条としたモダニズム建築」が代表的なものとしてひろがります。
日本の伝統建築は、ヨーロッパだけではなく、アメリカの建築家たちにも、大きな影響を与えました。いまではすっかり、日本発の機能的な建築物が世界を覆っています。
家具も同じことです。それまでの西洋の家具というと、ゴテゴテと彫刻がついていたのですが、いま世界で使われている現代家具は、すべて機能的です。これもジャポニズムの影響です。
最近では、あらゆるものに、日本の影響が及んでいます。戦後は食器や料理にも、影響が現れました。私はアメリカやヨーロッパ、韓国、中国、印度などから友人が来ますと、和食の店に連れて行っていました。決して高いお店ではないのですが、それでも、出て来るお皿は、正方形とか、長方形とか、六角形とか、様々なカタチをしています。
30年前くらいまで、外国から来た友人に質問したものです。
「あなたの国には、どうして丸い皿しかないのですか? あってもせいぜい楕円形です。四角や変形の皿があるのは、日本だけです。」
すると向こうの人たちはびっくりして、
「それはきっと洗うのが大変だから」とか言い訳をします。 でもそんなことを言ったら、東京でも高いフランス料理店に行ったら、一枚で5千円、1万円もするような高いお皿を使っている店があります。それこそ洗うのがたいへんです。
いまでは、世界のどこへ行っても、四角など、丸くないお皿があたりまえのように使われるようになりました。これまたジャポニズムなのです。
フランス料理も、日本料理の影響を強く受けています。ヌーボー・クズィン(nouveau cuisine)という言葉があります。ヌーボーが「新しい」で、クズィンが「料理」です。もう30年くらいになりますか、フランス料理に、「ヌーボー・クズィン」という新しい分野が生まれました。実はこれは日本の懐石料理を真似したものです。
それまでは、洋食というと、まずオードブルが出て、次にスープが出て、その次に大きな魚の切り身の乗った魚料理、次いでメインの肉料理、最後にデザートというのが、西洋料理のフルコースになっていました。
ところが日本の懐石料理の影響を受けたヌーボー・クズィンの場合は、ポーションといいますが、ほんのわずかな、そのかわり美味しくて凝った料理が、10品くらい出てきます。これは日本の懐石料理を模倣したものです。
こういう日本の影響は、最近では、コミックやアニメの世界にもあらわれています。いまや漫画(Manga)というローマ字で書かれていますが、世界共通語です。
どうしてこんなに流行ったのかというと、この元には浮世絵があります。西洋では、ドナルドダックや、スヌーピー、スーパーマン、スパイダーマン、ミッキーマウスなど、4コマあると、4コマの大きさが同じサイズ、ミッキーやスヌーピーは人といえませんが、登場人物も同じサイズで描かれていました。ところが日本のコミックは、中の構図も浮世絵のように、実に大胆です。
それから、最近ではパリを中心に、コスプレが流行っています。日本が西洋をはじめ世界に与えている文化的な影響は、ほんとうに幅広い分野にわたっています。
ちなみに、おとなりの中国はどうなのか。
中国では習金平先生が「偉大なる5千年の中華文明」と自慢されていますが、たしかに中国の文明は古代に、磁石ですとか、火薬とか、紙とか発明しましたが、近代に入ってから中国が世界に与えた文化的な影響は、なにひとつありません。
いま日本政府は、小泉内閣のときだったか、「クールジャパン」というキャンペーンを行っています。クールジャパンというのは、イギリスでクールという言葉が流行ったのを模倣しているのですが、私はそれより、「ジャポニズム」を訴えるべきだと思います。
3 多神教
私の従姉は、いま世界でもっとも名前の知られた日本人だと思うのですが、オノヨーコです。私の母の兄の娘です。私は子供の頃から、ヨーコに可愛がられました。私よりヨーコが3つ年上です。ヨーコがジョン・レノンと結婚したため、私はジョンと親しくしました。
ジョンはよく、ヨーコとともに、日本にお忍びでやってきました。また、私がニューヨークへ行くと、自宅や外のレストランでもてなしてくれました。私は彼に神道の世界の素晴らしさを伝えました。そのためにジョンは、一神教が嫌いになりまして、イマジン(Imagine) という曲を作りました。
イマジンは、爆発的な世界のヒット曲になりました。
Imagine there’s no Heaven(天国なんか、ありゃしないって)
It’s easy if you try(簡単だから想像してごらんよ)
No Hell below us(地獄なんかも存在しない)
And no religion too(もし世界から宗教がなくなれば)
All the people Living life in peace(世界の人々は平和に暮らせるよ)
ところが、この曲はアメリカやイギリス、ヨーロッパのキリスト教の保守層から、総スカンを食いました。なぜかというと、この歌はキリスト教を頭から否定しているからです。
私はジョンに、言いました。
「レリション(Religion、宗教)という言葉は日本語には存在していなかった。」
「宗教」というような突飛な言葉は、私たちの日本語には、もともとは存在しなかったのです。
江戸時代の終わりまでは、宗門、宗派、宗旨などという言葉を用いていました。明治に入るまで、「宗教」というおかしな言葉はありません。自分の信仰だけが正しくて、他の信仰はすべて邪(よこしま)である、間違っているという一神教が日本にはいってきたとき、新しい訳語をつくらなきゃならならなくなったからです。
明治訳語は、おびただしい数があります。明治訳語をお使いになるときは、いったいもともと日本語にあったのだろうかと、いぶかってみられることを是非お薦めします。
最近、「原発神話が崩壊した」とか、「神話」という言葉が、まるで嘘という意味で使われています。ところが「神話」という言葉も、江戸時代が終わるまでは、日本語には存在していませんでした。「古事(ふること)」と言いました。古事記は日本最古の歴史書ですが、古事記は、もともと
の読みは、「ふることふみ」です。
あるいは、明治にはいってから、造られた翻訳語に「指導者」があります。これは英語の「Leader」、ドイツ語の「Leiter」がはいってきたとき、日本には、そもそも指導者というのがいなかったし、そういう概念さえもなかったから、新しい言葉を造ったのです。日本社会は、はあくまでも集団で合意が行われるコンセンサス(Consensus、一致)社会です。
私はもともと物書きで言葉に関心をもっていて、25〜6年前に、明治32年に刊行された厚さ10センチくらいある英和辞典を神田で見つけて買いました。当時のお金で10万円近くしたと思います。
たとえば「Leader」という言葉をひくと、まだ「指導者」とは出て来ないんです。色々なもってまわった説明をしています。
それで、こんどは「Dictator(独裁者)」をひくと、こんなおかしな言葉もなかったので、たいへんな苦労して説明をしています。
あるいは、「Individual(個人)」という言葉・・・私はとても嫌いな言葉ですが・・・もなくて、これを「たったひとりの人」とか、おおわず微笑んでしまうような、苦しい説明をしています。
いまの世界は、英語では「Religious strife 」といいますが、宗教的な抗争、憎しみに基づいています。
たとえばシリアを例にとると、国連の推定では、内戦によってすでに10万人が死んでいます。
これはイスラム教がまず2つに分かれ、イスラム本流のスンニ派と傍系のシーア派が殺し合っています。それからキリスト教もたくさんの派があって、これまたイスラム教徒を殺したり、殺されたり、キリスト教同士でも殺し合っています。他にもドルーズ教とかいろいろあって、互いに殺し合っています。アフリカや中東の他の地域でも同じことです。
こういうことは開発途上圏だけにみられるものなのかというと、そうではありません。
英国でさえ、ついこの間までじゃ、アイルランドで、キリスト教のカトリックとプロテスタントの対立から殺し合っていました。3万人以上も死者が出た後に、ようやく停戦協定を結びましたが、まだときどきテロが行われています。
ところが日本では、歴史を通じてこのような宗教がらみの憎しみによる殺し合いがありません。ジョン・レノンがたいへん感心しまして、日本に来ると必ずヨーコと一緒に靖國神社に参拝していました。
こういうジョンの話を私が大学の講義でしますと、そんなことは信じられないという学生が多いので、写真を探したところ、アメリカのAP通信社が、ジョンとヨーコが靖國神社のお社の前で参拝しているカラー写真が出てきました。伊勢神宮にも、よく二人でお参りしました。2人は、二重橋の前で深々とお辞儀をする宮城遥拝もしました。
私は将来、神道の考え方が、世界に大きな影響を与えることになると思います。それは、天皇陛下を崇拝しなさい、拝みなさいということではありません。そうではなくて、神道の考え方のことです。
みなさんは「クマのプーさん」をご存知でしょうか?
イギリスの童話で、クリストファー・ロビンという少年の主人公が、プーという名前のクマの縫いぐるみと物語をつむぐお話です。この童話は、全世界の若者に知らない者がいないくらい親しまれています。
プーの物語には、プーの森が出てきます。そこにはプーの仲間として、子豚とかカンガルーとかフクロウとかトラとか、いろいろな動物が出てきます。全員が楽しく暮らしています。そしてそこには教会がありません。
1930年代に書かれた連作童話ですが、私はジョンに、「プーの森が、神道の森だよ」と話しました。動物たちが人とともに森での生活を謳歌する。とても素晴らしいことです。
また日本は世界の主要な国の中で、最高神が女性でいらっしゃる唯一の国です。アマテラスオオミカミは、女性です。ヒンズー教でも、最高神は男性です。世界中どこに行っても最高神は男性です。
今日は江戸時代のお話ですが、江戸時代にはいってからちょっとおかしくなったのが、侍が空威張りをするようになったので、表面的なことですが、日本が男上位の社会であるかのように強調されがちです。
みなさん、夫婦茶碗(めおとちゃわん)をご存知だと思います。いまは「夫婦(ふうふ)」と書きますが、それは江戸時代にはいってからで、それ以前は「妻夫(めおと)」、あるいは「女男」と書きました。女男の順番です。第一、「夫婦」をどうやって「めおと」と発音できますか?
4 江戸の治安
江戸時代は、270年を通じて、あまり人口がかわりませんでした。地方で飢饉があると江戸に人が流れてくるとか、いろいろありますが、町民がだいたい75万人くらいでした。その75万人の町民を、ではいったいどう治めていたのかといいますと、みなさんもご承知の通り、南北の奉行所です。
南北の奉行所で働いていた役人の数は、江戸時代の初めから終わりまで、人数はまったく同じで、332人です。このなかで管理職、いまでいう部長、局長さんにあたる人が与力(よりき)で50人です。その下に282人の侍が働いていました。
このうち、司法(裁判)関係と警察の業務にあたっていたのが、64人です。さらにこの64人のうち、警察業務にあたっていたのは、町同心(まちどうしん)といいますが、わずか12人です。
そのうえこの人たちは、奉行所が南北二つの輪番制なので、各月はその半分しか働いていません。ですからいつも働いているのは、余程のことがない限り、警察官は半分の6人しか働いていません。それでよく治安が維持できたものです。
もっとも12人の同心は、町方同心とか、八丁堀の旦那などとも呼ばれていましたが、ひとりひとりが、自分の収入から、「岡っ引き」を平均して5人雇っていました。「岡っ引き」は、お侍ではなくて、町人です。ちなみにこの「岡っ引き」という名称は、俗称です。彼らが名乗る時は「お上の御用の誰々」といっていました。
今日では、東京の人口1200万人に対して、警視庁だけで、46000人の警察官がいます。もし江戸時代と同じなら、比率からすれば、いまの東京を、100人に満たない警察官で、東京都全域の治安を守っていることになります。
後藤新平というと、東京がまだ東京市だったときに、市長を務めた人で、出身は岩手県の下級武士です。その後藤新平が東京市長を勤めているときに、「江戸の自治制」という研究書を書きました。昨年復刻版が出ましたのでamazonで買うことができます。
その本の中に、75万人もの町人を、いったいどうして、たった323人で治めることができたのかその答えが書いてあります。
「きわめて人々の徳性(とくせい)が高かったから」
だからほとんど犯罪がなかったのです。
5 江戸の教育
私は麹町に住んでいますから、ここまで歩いてくると30分くらいかかります。歩くと気がつくのが、クズカゴがひとつもない、ということです。これは、ヨーロッパやアメリカでは考えられないことです。パリでもロンドンでも、ニューヨークでもワシントンでも、おそらく30メートルに1個は、クズカゴがあります。
ゴミは、江戸時代の頃から、各自が自分の家に持って帰るという習慣があったのです。アメリカにすこし長く滞在して、ゴミがあると近くのゴミ箱に捨てる癖がつくと、東京に帰ったとき、戸惑います。
こういうことも、江戸庶民の徳性の高さのひとつといえそうですが、その徳性を支えたのが、江戸庶民の教育程度の高さです。
寺子屋は有名ですが、これは6歳か7歳で入ります。正確な統計がないので、いろいろな説がありますが、全国に12000から2万校くらいあったといわれています。
江戸時代の初期には、お寺さんが子供を教育をしていたところから、寺子屋と呼ばれるようになったのですが、次第に、街中で浪人や、多少学問のある町人が、寺小屋をはじめるようになりました。
寺子屋の教師は、6割が男性、4割が女性です。女性が4割を占めていたのです。すべて私塾です。そして街中にある寺子屋では、大きいものになりますと、千人くらいの子供が学んでいました。
生徒は、寺子(てらこ)と呼ばれました。寺子屋教育は、ひとつひとつが手作りです。
徳川幕府にも、それぞれの藩にも、教育を担当する役人はいません。平均して4年間、読み書き、ソロバン、地域によっては漁村でしたら漁の仕方とか、農村なら作物の作り方などを習うのですが、教科書から教育スタイルまで、すべて地域の手作りでした。
ですからいまの言葉で言うなら、チャーター・スクールに近いものといえます。
寺子屋を特徴づけるもうひとつは、躾(しつけ)と体罰がたいへんに厳しかったことです。
いまの日本の教育を悪くしているのは、体罰を禁止しているからだと、私は信念を持っています。
私は戸塚ヨットスクールの戸塚先生にもはいっていただいていますが、「体罰を復活する会」という会の会長も務めさせていただいております。
いまでは教室の片隅に立たせるのも体罰だとして禁じていますが、寺子屋の体罰は、そんなものではなく、はるかに厳しいものでした。
いまの教育をここまで劣化させたのは、私は文部科学省が存在しているからだと思っています。江戸時代のように、文部科学省がなくて、全部地元の手作りにすれば、日本の教育は蘇るのではないでしょうか。
学者も、町人や農民の出身者が多くいます。学閥や門閥、ましてや身分などにとらわれていません。町人でも、学識の高い、いまでもすぐれた学者として評価されている人が多いのです。
そういう人は、町人なら伊藤仁斎、青木篤紀、山崎闇斎、農民の出身ですと石田梅岩、二宮尊徳をはじめ、大勢いました。
6 江戸身分制度
士農工商の違いというのは、みなさんが信じられるほどはありませんでした。そもそも、江戸時代には、庶民の方がカネをもっていました。庶民のほうが支配層といわれる武士たちよりも豊かな生活をしていました。
いまの日本橋三越は、江戸時代から同じ場所にありました。昔は三越呉服店といいました。
そこの売上は、20万石の藩の収入を上回ったといいますが、客のほとんどは町民、あるいは地方から上京してきた農民などです。
世界のなかで、支配階級よりも、被支配階級の方が贅沢をしていたという国は、どこを探しても他にありません。
いまでいうレジャーなども、たいへん盛んです。みなさんも良くご存知の東海道五十三次ですが、お伊勢参りなどは、全国に御師(おし)というトラベル・エージェントがいて、パック旅行がさかんに行われていました。
東海道五十三次には、記録がありますが、全部で千軒を上回る旅籠(はたご)がありました。
この他木賃宿と呼ばれる、お米などを持って泊る施設もありましたが、そうした木賃宿を含めずに、豪華な旅籠が、千軒以上あったのです。
このパック旅行は、お伊勢参りに限らず、秩父参りとか、善光寺参りとか、金比羅参りとか、たくさんの種類があり、全国で数百種類ものパック旅行が行われていました。
西洋で、こうした団体のパック旅行が行われるようになるのは、19世紀の半ばをすぎてからのことです。いまでもありますが、トーマス・クックという旅行社がはじめたものです。
7 江戸の郵便
信じられないことですが九州から、蝦夷地と言われた北海道まで郵便が正確に届きました。
常飛脚(じょびきゃく)と呼ばれる郵便屋さん兼宅配屋さんが、全国の街道の往復をしていました。
飛脚によって、お金を送ることもできました。
江戸ですと、日本橋のたもとに、茣蓙(ゴザ)が敷かれていて、そこに竹のカゴがいくつも置かれています。そして竹カゴには、〇〇藩とか名前が書いてあります。
たとえば自分が博多の友人や家族に送金をしたいと思えば、お金を袋に包んで、宛名を書き、そのカゴの中にに、ただ置けば良かったのです。
嘘みたいな話ですが、そこには、番人もいません。往来の真ん中です。
金飛脚(かねびきゃく)がいて、金飛脚だけは護身用に腰に刀を挿していましたが、その金飛脚が、日に何回か、そのカゴに、お金をとりに来るわけです。そして全国に配達し、事故がおきない。
しかも、全国津々浦々、たとえば江戸の中央郵便局のあたりに届いた郵便は、町飛脚がいて、江戸の町(町の数だけでも500〜600ありましたが)に、腰から下げた鈴をチリンチリンと鳴らしながら、各家まで届けていたのです。
こんなに郵便制度が発達していた文明というのは、世界で江戸時代の日本だけです。
8 武士と町民
江戸後期の作家の大田南畝(おおたなんぽ)が江戸について書いたものを見ますと、5歩歩くと、小さな料理屋が1軒、10歩あるくと大きな料理屋が1軒、いまの原宿の表参道と同じように、食べ物屋がずっと並んでいて、すべて飲食の店、と書いています。
江戸市中で、お侍さんが威張ったのかというと、そんなこともないのです。実は、お侍さんは、馬鹿にさえ、されていました。お侍さんは、江戸時代も半ばを過ぎますと、町人から金を借りなきゃやっていけない。お金を借りているから、町人に頭が上がらない。ですからお侍は、町人を呼び捨てになんかできないわけです。◯◯殿とか呼んで、腰を低くしていました。
歌舞伎や浄瑠璃の演題は、王侯貴族の物語よりも、町人の物語が多いのも大きな特徴です。近松門左衛門の演題など、主人公は町人ばかりです。
ところが、シェイクスピアにしても京劇にしても、登場人物は全部、王とか貴族たちばかりです。
江戸の町が、庶民が主役だったということが、こういうことからもわかります。江戸は、庶民が豊かな生活を、かなり自由奔放に送ることができた社会であったわけです。
その近松門左衛門のセリフの中に、侍のことを、次のように言っているものがあります。
「刀差すか差さぬか、なんぼ差しても、5本6本は差すまい。差して刀、脇差し、たったの2本」
そしてなんと、「侍畜生」というセリフが出てきます。町民たちの他の演劇の中にも、侍を馬鹿にしてからかっているセリフがたくさん出てきます。
9 心の文化
国語辞典で、「心」という字をひいてみてください。心がけ、心づくし、心構え、心持ち、心繕いなど、150〜160くらいの言葉がつぎつぎと出てきます。
ところが、英和辞典で、英語で心は「Heart」ですから、これをひいていただくと、「HeartAttack=心臓マヒ」、「Heartburn=胸焼け」など、10語くらいしか出てきません。
これだけみても、私たち日本人がいかに「心」を大切にする民かということがわかります。
それから自然、いまでいうエコロジーが尊ばれました。神道は宗教ではありません。神道は、自分の信仰だけが正しいといって、他を排斥するようなことがありません。そして自然と共存します。動物も拝みます。ですから最近は外国の学者の中で、神道はエコロジーの信仰であると説いている人が増えてきています。
私は、江戸時代の俳句で好きなのが、上島鬼貫(うえしまおにつら)の、
行水の 捨てどころなし 虫の声
という句が好きです。行水に使った水を捨てようと思ったら、そこにもここにも、虫たちがいい声で鳴いているので、水を捨てる場所がない(捨てれば虫の音を止めてしまう)というのです。
それから江戸の中期で、加賀千代の
朝顔に つるべとられて もらい水
朝、井戸に水をくみに来てみると、朝顔のつるがつるべに巻きついていて水がくめない。切ってしまうのはかわいそうと、ご近所に水をもらいに行きました、というわけです。
そういう、自然と共存をする、人間だけが偉いわけではなく、生きとし生けるものみんなを大切にする。それが日本の和の文化です。日本の古事(ふること)神話の時代から続く、日本的精神です。
前にもお話しましたが、日本には、独裁者(Dictator)という言葉はもともとありません。指導者(Leader)という言葉もありません。アマテラスオオミカミ様がご機嫌を害されて、天の岩戸に身をお隠しになってしまわれると、八百万の神々がその前に集まって、相談をし、そこでいろんな提案が行われて、最後に若い美しい女神がハダカ踊りをすると、あんまり可笑しいのでみんなが笑う。外で歓声があがって、あんまり騒がしいので、アマテラスオオミカミ様が好奇心から岩戸をちょっとだけ開けて、身を乗り出すと、そこを力持ちの神様が引っ張り出しています。
朝鮮でも、中国でも、インドでも、中東でも西洋でも、すべての神話の神様は、全能の神ですから、なんでも自分で決めてしまうのです。みんなで相談するということをしません。ところが日本では、神様たちが、ああでもない、こうでもないと相談をしあっています。
その日本では、世間が神様です。ついこの間までは、「世間様に申し訳ない」とか「世間様に顔向けができないとか」、「そんなことは世間様が許さない」などと言ったものです。ですから社会そのものが神様であるとされていたわけです。これも、世界にまったく例がないことです。
私は多少、武道をかじりました。空手の高段者ですが、剣道もすこしかかわりました。
まず、武道という言葉は、外国語に翻訳できません。英語では、「Martial art」と言いますが、これは「戦う術」です。日本では、武道は、精神性がきわめて高いものであって、空手でも試合に出ると、勝ち負けを考えるな、何も考えずに無念になって戦え、と言われます。そんなことは、なかなかできるものではない。剣道も、やはり勝ち負けを離れ、無心になって戦え、計算してはならないといいます。
斬り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ
踏み込みゆけば あとは極楽
これは宮本武蔵の有名な言葉です。剣道にはいろいろな流派がありますが、なんと柳生流に無刀流というのがあります。刀を使わないで相手を倒すというのです。ここまでくると精神主義の極みのような気がします。外国人に話しても、わかってもらえません。
こういう、「心を大切にする」ということは、日本の武士の精神は日本刀に宿っているといわれますが、全部で1273点ある国宝の品目の中で、いちばん多いのが日本刀だというところにもあらわれています。
日本刀は平安時代にいまのカタチになり、鎌倉時代に完成して、こんにちに至っています。私は武道に関心をもって、韓国、中国に行ったり、東南アジアや、インドネシア、インド、中東、ヨーロッパを訪ねると、各地の武術について、色々と話を聞きましたが、刀の種類が一種類しかない国は、日本以外にありません。
どこの国でも、剣の種類がたくさんあります。戦場の状況によって、ちょうどゴルフでクラブを状況に応じて、いろいろ取り替えるように、剣を選んで使うものです。
それから、両手で刀を握って戦うのも、日本だけです。
朝鮮でも中国でもヨーロッパでも、刀は片手で持ちます。両手で刀を握るというのは、相手のフトコロに飛び込まなくちゃなりません。
武道に限らず、茶道でも華道でも、香道でも、日本舞踊でも、日本ではあらゆるものが心が一番重要とされます。着物もそうです。
私の母親は着物が好きだったので、幼いころから帯を結ぶのを手伝わされ、成人してからはハクビや装道の顧問をし、着付けの資格も持っています。着物は、ただ美しいのでは、まったく美しくなりません。
西洋や中国では、マリーアントワネットが着ていたとか、皇帝のお后が着ていた服がいまも残っていますが、衣装そのものの見たところが綺麗だったら、それでいいのです。
ところが日本では、着付けがよくなければならない。身の振る舞いが美しくなければならない。
心そのものが美しくないと、着物姿が美しくない。
日本は、心がつく言葉が、世界のなかでもっとも多いと申上げましたが、こういう文化が出来上がったのが、江戸時代です。
私は、江戸時代は、ほんとうに世界の中で、人類の歴史の中で、これほど素晴らしい社会はなかったと思います。
江戸時代の良かったところを私たちが取り戻していく。そうすれば、日本が世界の手本になって、これからは、ジョン・レノンの歌ではありませんが、日本が手本を示して宗教や思想の対立を超えた、本当の意味での平和な世界をつくることができるのではないかと思います。