学習院廃校を救った山梨勝之進学習院長 古沢襄

共同通信社の社長だった犬養康彦さんは「昭和20年の終戦の直後から、21年10月に安倍能成さんが院長に就任されるまで一年余りの間というのが、学習院の存続の危機の期間だったと思う。当時の山梨勝之進院長時代に、宮内大臣として石渡荘太郎さんという偉い先輩がいて、この石渡さんと山梨さんが中心になられて、学習院の歴史を護った」と回顧している。

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不束かなれども宗任様の婦とされたし 古沢襄

松浦と書いて「マツラ」と呼ぶ。「マツウラ」ではない。「マツラ」の松浦姓には、古い歴史が存在している。「北条九代記」の巻・第十一、「蒙古来襲 付けたり神風 賊船を破る」の項に”弘安の役”の海戦の模様が出てくる。

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