天保八年 丁酉(ヒノトトリ・・・1837年の記録)
【巣郷本の記録】
☆疫病はやる ☆大飢饉の費用供出
凶作。年貢割合は元歩より四歩引きとなった。一歩銀(一枚で、1両の1/4・1,000文。約25,000円)が始めて沢内通りに来た。
疫病(高橋又郎氏・高橋克彦氏の父、医学博士によれば、栄養失調になっているから種々の病原菌に犯されやすかったと思う。特に疫痢、赤痢が蔓延したと思うということであった)が流行した。去年の申年(1837)より今年六七月まで餓死した者は何万人になるのか数えることが出来ない。この大飢饉にあたり沢内通りで費用の供出を仰せ付けられた人数は次の通りである。
「沢内年代記」を読み解く(二十八) 高橋繁
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