名家といわれる家系をみていると、必ずといっていいほど内紛が起こっている。本来なら正流の総本家を支える分家の構造によって名家の結束が保たれるのだが、ある代になって総本家の嗣子がなくなる。娘がいれば養子をとって正流の地位を保つが、男子も女子もいなければ両養子をとらざるを得ない。
戦国大名・秋田氏への道程 古澤襄
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名家といわれる家系をみていると、必ずといっていいほど内紛が起こっている。本来なら正流の総本家を支える分家の構造によって名家の結束が保たれるのだが、ある代になって総本家の嗣子がなくなる。娘がいれば養子をとって正流の地位を保つが、男子も女子もいなければ両養子をとらざるを得ない。
「秋田家系図」では、安東堯恒から五十年余りは空白となっているが、安東太郎堯秀の頃、藤崎から移り、さらに孫の安東太郎愛秀の時に十三湊に移住して城を構えた記述がある。このあたりは諸説があって定まっていない・・・と述べた。