「太平記」よりは「梅松論」 古沢襄

姓氏家系の研究では第一人者である丹羽基二さんの著書に「日本の苗字事典」がある。(一九九四年 柏書房)。これが平易な文章で読みやすく、実に面白い。普通の事典とは違って、苗字にまつまる歴史や意味を分かりやすく書いてある。

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金日成が朴正煕を一時支持 古沢襄

韓国の朝鮮日報は、北朝鮮が朴正煕元大統領らを「左派」と判断していたとする中国の外交文書を明らかにしている。1961年5月16日、朴正煕陸軍少将は軍事クーデターを起し、国家再建最高会議議長に就任している。その時に北朝鮮の金日成主席は、これを支持する声明を準備したという。

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東日本は”沢地名”、西日本は”谷地名” 古沢襄

日本の苗字の研究で第一人者である丹羽基二氏は”沢”の字がつく姓について、東日本に多いが、西日本には少ないという説を唱えている。地名でも”沢地名”は国土地理院の20万分の1の地図で、岩手県に22カ所、長野県に24カ所があり、すでに廃れつつある小字(あざ)程度の小地名を入れたら、この十倍以上の”沢地名”があると推察している。

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上田小県誌における深井氏 信濃大門

年号 記載内容
嘉暦4年 3月(1329)   守矢文書(諏訪郡宮川村・守矢真幸氏所蔵)
諏訪上宮五月會付流鏑馬之頭・花會頭与可為同前御射山頭役結番之事七番五月會分 右頭、海野庄内深井、岩下両郷地頭、深井海野次郎左衛門入道知行分  

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天正年間から元和年間における深井氏  信濃大門

天正10年(1541)武田信虎勢は、小県郡を手にいれるため村上義清と手を結び、海野氏、祢津氏、矢沢氏を攻めた(海野平合戦)。

この時の海野氏の棟梁は、海野棟綱で、重臣は、深井右衛門尉棟廣であった。

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「深井」と「御井」 信濃大門

■高麗系の帰化人と「御井」

「日本後記」の中に延暦18年12月5月の条に次の文章がある。

「信濃の国の人外従六位下、卦婁真老。後部黒足・前部黒麻呂・前部佐根人・下部奈弖麻呂・前部秋足・小県郡人無位上部豊人・下部文代・高麗家継・高麗継楯・前部貞麻呂・上部色布知等がせ調停に申し上げた。我々の祖先は、高麗人であります。推古天皇・舒明天皇の時(飛鳥時代593~641)に入国帰化しました。それから今まで、代々平民で、まだ高麗のときの姓を改めないで使っております。

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古族深井氏の研究に当たって 信濃大門

長野県の東信地区の東部町は、平成16年の北佐久郡北御牧村との合併で東御市となった。旧東部町和(かのう)地区には、深い地籍があり、室町期には小県郡下の深井郷として存在していた。その後上深井、下深井地籍に区分されたが、明治になってからは小県郡和村となり字名で東深井、西深井になった。

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