Joe について

古沢 襄(杜父魚文庫代表) 古沢襄は昭和作家・古沢元と真喜の長男。1932年2月25日に東京・新宿区で生まれる。古沢元・真喜の夫婦作家の文学碑は、元の故郷である岩手県西和賀町にある曹洞宗玉泉寺の境内に建立されていて、毎年五月に文学碑忌が行われている。2006年には旧沢内村の閉村事業として「古沢元作品集」が発刊された。 •古沢 元(ウィキペディア) 母・真喜は長野県士族の家に生まれた。生家は士族の商法だったが成功している。だが商家を継ぐことを嫌って、東京の実践女子専門学校英文科に進学、作家の道を選んでいる。真喜の生涯を田村俊子賞の受賞作家・一ノ瀬綾が「幻の碧き湖」(1992年)を筑摩書房から伝記小説として発刊した。一族から悲恋の新劇女優・松井須磨子が出た。 1957年、古沢襄は共同通信社に入社、政治部記者となり六〇年安保の疾風怒濤の時代を体験、その後福岡支社長、経理局長を経て常務理事。この間、同人雑誌”星霜”に短編小説「若死の予感」を発表。また現代史懇話会の雑誌”史”の毎号にエッセイを発表した。          共同通信社を退社後は、古沢元の故郷である西和賀町で杜父魚塾を作り、塾長として地域の町おこし、村おこしに奔走。「びしゃもんだて夜話(1982 三信図書)」「沢内農民の興亡(1998 朝日書林)」「怨念を超えたシベリアの旅(1999 川嶋印刷)」「一点山玉泉寺物語(1999 川嶋印刷)」の著書がある。 一族には漫画家の杉浦幸雄(古沢元の義弟)、岸丈夫(古沢元の実弟)、日米戦争開戦時の海軍報道部長・平出英夫少将(古沢元の叔父)がいる。また古沢襄の妻・恵子は、二・二六事件で刑死した北一輝の血縁。

”怒りと鎮め”の名門・諏訪一族 古沢襄

NHKの大河ドラマ「風林火山」は武田晴信の信濃攻めに入った。天文十三年二月に二万の大軍を率いて御射山(みさやま)に陣を敷いている。

井上靖氏の「風林火山」が原本だから、作者不詳の「甲陽軍鑑」に拠るところが多い。しかし、信濃・諏訪氏攻めは歴史読本に連載された新田次郎氏の「武田信玄」の方が、より具体的で面白い。新田氏は諏訪に縁がある作家である。

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「キタイ」と「チャイナ」 古沢襄

ロシアに行くと中国のことを「キタイ」と呼ぶ。モンゴルも「キタイ」だ。欧米では「チャイナ」、トルコは「チン」というそうだ。戦前の日本は「支那」と呼んでいた。いずれも蔑視用語でもなければ差別用語でもない。支那大陸の三〇〇〇年の歴史から取った呼称だからだ。

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「マッカラム・メモ」と日本 古沢襄

ブッシュ米大統領の共和党政権から民主党に政権が移るとすれば、米国のアジア政策がクリントン政権時代のように”中国重視政策”にスイッチ・バックするのだろうか。共和党政権が続く可能性もあるのだから、今から心配しても始まらないというのが、大方のノー天気な日本人の感覚であろう。

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遺された北一輝の人形 古沢襄

妻の姉・凱子さんは伊豆で一人住まい。夏に愛犬チロを連れて二泊したことがある。その夜、ガラス箱に納められた人形が気になって、なかなか寝つかれなかった。何となく不気味は感じを与える。朝になって「人形が気になって眠れなかった」といったら「北の伯父さんから貰ったのよ」と姉は言った。

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シベリアのソバ畑 古沢襄

ソバといえば日本固有のものだと思っていた。信州で少年時代を過ごした私は讃岐ウドンよりも戸隠ソバが好きだ。小諸郊外のパブリック・ゴルフ場によく出かけた私は、帰りには必ず小諸市内の名物ソバ屋に立ち寄った。信濃毎日新聞社の旧友が教えてくれた店だが、日本酒を傾けながらソバをつまみ代わりに遅くまで飲んだ。

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満州蒙古と女直族 古沢襄

西川一三さんの「秘境西域八年の潜行」上中下三巻をようやく読み終えたところである。大学の講義を聴いたり、図書館で文献上の知識を得るのも必要だが、自分の足で稼いだ知識というのは、なにものにも勝る説得力がある。まさに「事実は小説より奇なり」なのである。

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バイカル湖・青海湖・ウブス湖

北アジアや西アジアの歴史に魅せれた私は、中国西北部の詳細地図を書斎に飾っている。それを見ていると遠くイランの地から、草原を渡ってシベリアのバイカル湖まできた古代トルコ民族の姿が浮かんでくる。

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広沢牧場と安倍一族 古沢襄

戦前は東京府立第一中学(日比谷高校)や第四中学(戸山高校)といったナンバースクールに人気があった。教育熱心な親たちは、一中の進学率が高い番町小学校に子供をいれた。作家・武田麟太郎の長男文章さん、次男穎介さん(いずれも故人)は、私の幼友達だが番町小学校に通っている。

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渡来人の末裔・谷氏族 古沢襄

西日本にタニ(谷)地名が多く、東日本にサワ(沢)地名が多いことから、谷姓も西日本に多く、沢姓は東日本に多いという説を、日本の苗字の研究で第一人者である丹羽基二氏が実証的に示している。さらに谷姓は渡来族の末裔、沢姓は在来種の末裔という推論も下した。

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壬申の乱と古事記 古沢襄

女系天皇論議で騒がしかった時に「古事記」を読んでいた。古事記は上中下三巻からなっている。私は、神々の夜明けと黄昏の壮大な叙事詩ともいえる上巻を耽読している。中巻は、初代・神武天皇の東征に始まり第十五代・応神天皇まで、下巻は第十六代・仁徳天皇から第三十三代・推古天皇で終わっている。また筆録した太安万侶の序文がついている。今度、初めて序文と下巻を読んでみた。

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藍ちゃんは黒潮系 古沢襄

女子プロの宮里藍ちゃんほど皆から愛されている女性は珍しい。二十一歳になったというが、明るくめげない性格で米国の強豪に混じって頑張っている。チャラチャラ、ナヨナヨしないところが、またいい。両親の育て方がよほど良かったのだろう。

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大津波で消えた十三湊文化 古沢襄

津軽・十三湖を訪れたいと思いながら果たせないでいる。十三湖・・・津軽人の太宰治は「「真珠貝を水に浮かべたような」と十三湖を表現している。中世、十三湖の開口部にある十三湊(とさみなと)が日本海の海運拠点として栄えていた。安東船と称した保有船は約700艘、遠くロシア沿海州との交易で往復したり、国内各港にも物産を運んでいた。常時出港中の船は500艘ともいわれた。七百年前にさいはての津軽の地で、華麗な文化が花咲いていた。

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真田幸村の娘「お田の方」 古沢襄

茨城県と秋田県ほど関係の深いところはない。これは中世史の研究家が等しく感じているのではないか。私などは歴史学徒というのには程遠いのだが、見よう見真似で臆面もなく、中世の歴史資料を集めて、閑さえあれば読み耽っている。

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義経伝説とジンギス汗 古沢襄

小泉首相は10日にモンゴルを訪問してジンギス汗による「大モンゴル建国800周年」に出席する。日本人は戦前からジンギス汗が好きな傾向がある。先史の時代に日本はモンゴリアンロード上にあった。人種的にも日本人はモンゴロイド(黄色人種)の系統だといわれている。

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真田幸村の娘たち 古沢襄

母系の血脈ということ考えている。天皇家のことではない。日本社会は父系が中心となってきたから母系を調べるのは、もともと障壁が高く困難をきわめる。名家の家系図をみても母系は総じて「女」としか表記されていない。その”女”が、どのような出身で、どのような影響力を次の世代に残していたのか、一人の人間を調べるうえで、実は重要なポイントとなると思っている。

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「苗字必称義務令」という法律があった 古沢襄

<strong>姓なんて単なる符丁</strong>

丹羽基二さんは日本の姓氏について分かりやすく解説してくれる。私は姓なんて単なる符丁だと思っていた。明治維新で、新政府は徴税と徴兵のために「明治新姓」という制度を作った。明治三年の「苗字許可令」がそれだ。徴税と徴兵のために政府の方が必要なのに”許可令”とは笑わせる。農民は姓がなくても不自由しなかったから届け出は少なかった。

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