851 松野鶴平と岸信介 古沢襄

共同政治部の大先輩に丸山昌夫さんという岸担当記者がいた。あだ名は「マルショウ」。だが私は「マルさん」と敬意を払った。もとはいえば吉田元首相のかくれた政治指南番といわれた松野鶴平氏に食い込んだ人。
公職追放中の松野氏のところに通いつめ、信頼をかちえている。最初は東京・伊皿子の邸を訪ねたら松野氏から「松野は留守です」と撃退されてしまった。平気で嘘をつく老人だったが、マルさんが気にいったらしい。嘘のお返しに「無門関」という出入り自由の鑑札(?)を貰った。
話は昭和30年の保守合同に飛ぶ。前の年に「日本民主党」が結成され、吉田自由党に拮抗する保守第二党が生まれた。いわゆる鳩山ブームが起こって、民主党は124議席から185議席に躍進したが、吉田自由党はふるわず180議席から112議席に転落している。社会党も左右合わせて156議席。
社会党の躍進に危機感をもった岸信介と三木武吉は保守合同を画策する。しかし新党の総裁をめぐって、民主党の鳩山総裁と自由党の緒方竹虎総裁が譲らなかったので、新党構想は暗礁に乗り上げていた。
民主党の幹事長室では岸幹事長がお手上げの風情だったという。マルさんは「松野の爺さんが方法はある、と言っている」と岸に言った。松野氏と緒方氏は旧知の仲である。「僕は松野さんをよく知らない」と岸。結局はマルさんが、岸の”お使い”で松野氏の知恵を借りることになった。
松野氏の知恵は「総裁代行委員制」をとって、鳩山を政務担当委員、緒方を党務担当委員とする折衷案であった。これで新党が動きだした。岸は「松野の行動力はたいしたものだ。稲光りのように光ってみえた。勉強になったよ」とマルさんに述懐している。もっとも代行委員には大野伴睦も色気を示し、三木も含めて四人の代行委員制となった。
保守合同で誕生した自民党の初代幹事長には岸がなったが、岸は松野氏を参院議長として遇している。次第に松野氏を”政治指南役”にしたいと考えるようになった。吉田ワンマンの政治指南役を民主党系の岸が、自らの政治指南役にするのは、岸側近の間にも抵抗がある。とくに川島正次郎が反発した。
岸も岸派の大勢をみて、それ以上の深入りを避けている。岸内閣は警察官職務改正法案(警職法)の処理をめぐって最初の挫折を味わっている。岸は「どうせ野党は反対するのだから・・・」と言って、数の力で強行突破しようとした。
だが松野参院議長は警職法案の本会議上程を拒んだ。松野氏は「警職法案を成立させようとすれば、警官隊を呼ばなければできない。党が公約した法案八件がすべて審議未了になる。公約でない警職法案を通すことはできない」と岸に伝えた。岸も納得して警職法案は審議未了で廃案となっている。
マルさんは、岸が派内の反対を押し切って、松野氏の政治指南役を実現していたら、強権政治と後世まで言われることはなかったろうと言っていた。そのマルさんも今は亡い。孫の安倍首相のことを、どうみているのだろうか。

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