未分類 503 脳裏に残る京都の政治家 古沢襄 京都という土地柄は、戦後、ユニークな政治家を輩出してきた。私の青春時代は二人の京都出身の政治家に密着して、影響を受けることが多かった。権力の頂点を目指すという志向よりも、何か別のものがある政治家たちであった。政界のドロドロとした権謀術策が不... 2007.03.31 未分類
未分類 502 フィレンツェに飛んだ次女 古沢襄 次女がイタリアに飛び立った。昨夜はフィレンツェ。ミラノを回って四月六日に帰国すると連絡があった。観光旅行ではない。一九九六年にささやかな会社を設立して、十一年目になるが、毎年、海外に行って世界の香水事情を調べている。昨年はフランスに滞在して... 2007.03.31 未分類
未分類 501 アメリカを、よく知っている? 古沢襄 日本人は中国とは長い歴史の中で向き合ってきたから、中国に対する理解度はある程度は備わっている。しかし、アメリカと真っ正面から向き合ったのは、戦後六〇年間程度でしかない。本当にアメリカを理解しているのだろうか。犬養道子さんが一九七八年に「アメ... 2007.03.30 未分類
未分類 500 韓国のヒューミント 古沢襄 アメリカのマイケル・ヘイデン米中央情報局(CIA)局長がひそかに韓国を訪れている。1994年の米朝衝突危機の時も前年にジェイムズ・ウルジー米CIA局長がひそかに韓国を訪れていた。韓国国防省と国家情報院当局者らと北朝鮮分析の情報交換を行ったも... 2007.03.29 未分類
未分類 499 極秘水脈「直角ライン」 渡部亮次郎 日本の政治のことを考えるのはそろそろ止めよう、と考えている。つまらないからだ。スケールがどんどん小さくなってゆく政治家たち。とりもなおさず肝(きも)を鍛える戦争を体験していないからだ。幸か不幸かNHK政治記者だった41歳のとき、請われて外務... 2007.03.28 未分類
未分類 498 超現実主義者のキッシンジャー 古沢襄 ヘンリー・キッシンジャーぐらい日本でもてはやされた国際政治学者はいないであろう。だが、これは日本人の片想い、キッシンジャーは大の日本嫌いドイツ嫌いなのである。面と向かってではないが、日本人を「ジャップ」と呼んで憚らない。キッシンジャーは19... 2007.03.28 未分類
未分類 497 日本海が表だった時代 渡部亮次郎・誠一郎 秋田はやはり美人が多い。2007年3月24日の千秋会。互いに71歳の高校時代を東京で懐かしむ会。花見が目的だが花は1分咲き。それよりも70を過ぎてなお美人の中に北前船を連想させる姓の方が居て、少し詳しく調べる気になった。北前船(きたまえぶね... 2007.03.27 未分類
未分類 496 東京砂漠は忙しい 古沢襄 言葉の壁というのはあるものだ。日本語と英語やドイツ語の会話のことではない。狭い日本国でも北と南ではお国言葉が違う。古い話になるが、鹿児島市で新聞大会が開かれて、全国から新聞社の幹部が集まった。会議が終わって私の部屋で四人で酒盛りが始まった。... 2007.03.26 未分類
未分類 495 俗説・秋田美人のルーツは水戸 古沢襄 日本三大美人は京美人、秋田美人、博多美人だという。世界一の美人国はアルメニアといったのはモスクワ在住の山田みどりさん。そのみどりさんとは二十歳台からの付き合いだが「京都は綺麗な人が多い」と言っていた。生け花師匠のみどりさんは、年に一度はロシ... 2007.03.26 未分類
未分類 494 裏面史・沖縄返還交渉(3) 古沢襄 1969年4月1日に岸元首相は、実弟の佐藤特使としてワシントンで行われたアイクの葬儀に参列し、ニクソン大統領と会談した。儀礼的な会見というよりは、沖縄問題に絞った重要会談となった。<各国代表とニクソンは会談した。岸はその一連の表敬会談の最期... 2007.03.25 未分類