父古澤襄が5月29日に逝去致しました。死因は虚血性心疾患。毎日このブログを更新していた椅子にいつものように座りながら、眠るように亡くなりました。あまりにも突然な出来事だった故もあり、葬儀は6月1日に近親者のみで行わせて頂きました。杜父魚ブログをご購読頂いている皆様、ご投稿頂いている皆様には、ご通知が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。5月28日15:04の記事より更新が止まり、さぞかしご心配をお掛けしたことと存じます。本当に申し訳ありませんでした。
父がブログに書いているように、つい先日家族四人で浅草へ出向き昼食を共にしたばかりで、この急な出来事を未だ信じられない思いです。それと同時に、この日楽しい家族団らんのひとときがあったことに感謝しています。
杜父魚ブログは私の夫の発案でスタートし、晩年の父の生き甲斐となりました。家族を代表して、杜父魚ブログを長年支えて下さった皆様に深く御礼申し上げ、このブログを終了させて頂きます。
次女 知子
コメント
フィードさせて頂いていた都合で、古沢先生の訃報を目にする事になりました。
ご冥福をお祈り致します。
私は、数年前に杉浦正章さんの永田町幹竹割りから杜父魚文庫の存在を知り、以来、世の中の時事を知る上で多くの方々の賢人の意見を知りたくフィードして毎日読んでいました。
ここ数か月、古沢先生のご容態が思わしくなさそうな印象を受ける一面もあり、面識すらない私でも心配していました。
故人の人となりが、どのようであったかは知る由もありませんが、まことに残念であり悲しく思います。
人は生まれる事も死ぬ事も使命の一つと考えています。
死は無に返る事ですが、先生の思いや願い、夢が後世引き継がれ活かされる事を切に願います。
いつもわかりやすい記事を読ませていただき感謝してます。突然のことでご家族の心痛御察しします。ご冥福をお祈り致します。
6月3日付けの記事を拝読して愕然といたしました。
このブログは毎日訪れさせていただいてました。
ときおり、穏やかな日常生活を書きつづられ、「この日々がいつまでも続いて欲しい」と述べられてたことを懐しく思い出させられます。
バロン君はどうされてますか?
古澤襄氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、氏がこのブログを継続出来るように支えてこられたご家族の皆様に、深くお礼を申し上げたく存じます。
合掌
心からお悔やみ申し上げます。ぼくは、古沢君と小学校で6年間一緒でした。古沢君のお母さんと、僕の母親も親しくさせていただきました。おたがい、家へ行ったり来たりしてました。古沢君の家でシベリアで亡くなったお父さんが着物姿で腕組みをしてあぐらをかいて、机にむかってた在りし日をはっきり思い出します。
同級生だった勝 新太郎君もはやくなくなりましたし、クラスで元気なのは、幾人もおりません。亡くなる日まで、ブログで楽しませてくださった古沢君、有難う。いつの日か、そちらで、再会しましょう。
今、杜父魚ブログ終了のお知らせを拝見して
突然のことに本当に驚いています。
ほぼ毎日ブログを拝見するのが楽しみでした。
言葉が出てきませんが‥
ただただ古澤さんのご冥福をお祈りいたします。
有り難うございました。
以前ご入院されてブログの更新の方、止まっていた際には非常に寂しかったものですが、それだけに再開された時の嬉しさも一入でした。
今回、突然の訃報で、もう古澤先生の記事を目にすることが出来なくなってしまったと思うと本当に残念でなりません。
素晴らしい方でした。
ご冥福をお祈り致します。
以前のように入院されたのかな、と思っていた
矢先の訃報に驚いております
氏の文章の語彙を調べることが良くあり、
言葉の勉強にもなっていた当ブログの終了が
残念でなりません
ただ、いつもの椅子に座ったままでの最期が
氏の人生哲学、昔気質的な男の美学に相応しい
幕引きに見え、庭のメジロに連れられ後を濁さず
旅立ったのでは、とも感じました
長い間お疲れ様でした そして、ありがとうございました
こちらMoMotarou放送局です。寂しい限りです。子供じみた当メルマガを毎週転載して頂いた御恩は一生忘れられません。一地方の一日本人の志を大事にして頂きました。
ネット文化の特性で、一度もお会いした事もお話しした事もございません。心よりご冥福をお祈りいたします。安倍総理の活躍をお見せできたことが何よりの幸いでした。ご安心ください。日本は。。。
涙が止まりません。
一時期、体調不良で中断されてたのを思い出します。内の父も難病です、古澤先生のように好きな事はギリギリまで出来ますよ。
と言ってあげました。