322 関東軍の武器で敗北した? 古沢襄

私は1966年に金門島、左衛海軍基地など台湾の国府軍視察のために海外出張したことがある。私たちの案内役は日本の陸軍士官学校を卒業した荘南園大佐。中共軍の金門島上陸作戦を撃退している。一夜、パイカル酒を酌み交わしながら、国共内戦で装備が貧弱な中共軍に蒋介石の国府軍が敗退したのは何故だろうと意地悪い質問をしてみた。
荘南園大佐は「ソ連軍によって武装解除された関東軍の武器が中共軍に引き渡されたからだ」と迷わず答えた。国府軍の敗因は①アメリカのマーシャル軍事監視団が調停から手をひいた②国府軍の腐敗による民衆の不信③逆に「耕作者に土地を」をスローガンにした中共軍に対する民衆の支持・・・とみている私にとっては想定外の返事であった。
しかし軍人には軍人の見方がある。帰国後、①武装解除当時の関東軍の装備状況②ソ連軍から中共軍に武器が引き渡されたソ連側の文書の存在を探し求めることになる。1997年にロシアのイルクーツク市で「シベリアの日本人捕虜」を書いたイルクーツク大学教授のセルゲイ・I・クズネツオフと会う機会があった。2002年に再度イルクーツク市でクズネツオフ教授と再会したが、ソ連側の公文書に戦利品として戦車686両、航空機861機、砲1836門を得たという記述があると教えてくれた。それが中共軍に渡されたかどうかは定かではない。
日本側では関東軍作戦参謀の草地貞吾大佐の「草地貞吾回想録」があるが、関東軍の方面軍・師団・旅団編成を詳しく記述しているが、装備などに関する記述はない。むしろ作家の半藤一利氏(ソ連が満州に侵攻した夏)がソ連軍が捕獲した関東軍の武器は飛行機925機、戦車369両、自走砲を含む野砲1226門、迫撃砲1340門、機関銃4836挺、小銃約30万としている。戦利品としているからソ連側の資料と思われるが、クズネツオフ教授の数字と若干の違いがある。とくに戦車の捕獲数がかなり違う。
保阪正康氏の「蒋介石」に次の記述がある。ソ連は、国民党側にいわせると抗日戦終結時の武装解除に当たり、関東軍の戦備(飛行機925機、戦車369両、野砲1226門、機関銃4836挺をはじめ膨大な兵器と補給所にあった機関銃8989挺など)をすべて共産軍に引きわたしている。そのため紅軍の東北部隊は五万人から二十万人に一気に拡充することになったという。
数字上では半藤一利氏と保阪正康氏は一致し、武器がソ連から中共軍に渡ったとする保阪正康氏の記述(国民党側にいわせると、という条件付きだが)と荘南園大佐の証言が一致している。つまり国府軍側では、これが定説になっていたのであろう。なお「ソ連が満州に侵攻した夏」は別冊文藝春秋の225号(1998年)、「蒋介石」は1999年に初版発行、ほぼ同時期に発表された。
ここで敗戦時の中国大陸と満州国における日本軍の配備状況を検証する必要がある。1945年に無条件降伏した日本は中国大陸に200万の軍隊を展開していた。満州には60万。三倍以上の兵力が中国大陸で武装解除されたということは、捕獲された武器も三倍以上とみるのが妥当であろう。この大部分は国府軍の手中に帰している。
また国府軍に較べて八路軍といわれた中共軍は精強であったが、数の上では国府軍に対して劣勢だったことが否めない。加えてソ連のスターリンは抗日戦後の中国代表として蒋介石政権を認め、毛沢東の中国共産党にはまだ好意的でなかった。たしかにチチハル、ハバロフスクでソ連軍が中共軍の将校に最新鋭の軍事教練を施したとして、蒋介石の国民政府が中ソ友好同盟違反として抗議した事実はある。
1946年3月にソ連軍は満州から撤兵を開始し、国府軍が進駐してきて、すでに進駐していた中共軍との間に戦闘が始まった。彼我の武器は日本軍から捕獲したものが使われているが、アメリカは国府軍に近代兵器を援助し、ソ連は中共軍に武器を供給したので、関東軍の武器が中共軍に渡ったために国府軍が敗退したとは考え難い。
中共軍は1947年から「人民解放軍」と称するようになるが、延安、洛陽、青島などを次々と制圧し、華北の国府軍も孤立した。やがて華中も制圧されて国府軍の敗色が濃くなる。アメリカのトルーマン大統領は中国の内政不干渉を唱えて動かない。
窮した蒋介石は密かに連合国の管理下にある日本に対して、日中戦争で作戦指導に当たった支那派遣軍の旧高級将校の協力を求め、1948年から1949年にかけて中国名を名乗る約百人が上海に渡っている。「白団」と呼ばれた旧日本軍の協力によっても国府軍の劣勢を挽回することは不可能であった。戦後秘史といえよう。
1949年9月、北京で開かれた全国人民代表大会で毛沢東は「人民解放軍は国民党反動政府の数百万の軍隊に打ち克った」と高らかに宣言し、10月1日に中華人民共和国が成立している。成都にあった蒋介石は残存部隊を率いて内戦継続を考えていたが、その年の暮れに台湾に脱出している。

コメント

  1. おおくぼさん より:

    ・旧満州に埋められているといわれているぼう大な砲弾・毒ガス弾は、だれが埋めたのでしょうか?
    ・but、昭和20年8月9日以降関東軍は、武器を所持しながら、1週間以内にあっけなく敗退。”人間の条件”では
    それなりに戦争したようですが。
    ・戦意自体不足していた?昭和12年の国府軍らといい勝負!?

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