少々理屈っぽい話になるのをお許しいただきたい。実は割合大切なことにも思えるのだ。私はしばしば各地の講演旅行に出掛けるが、事前に主催者に渡すプロフィルの最初に、〈1935・10 旧満洲大連生まれ〉と書いている。だが、なぜ〈旧〉をつけるのかと正面切って問われれば、すっきりした答えができそうにない。もやもやしている。
どこの講演会でも前か後には、このプロフィルを見て、必ず一人か二人、「私も満洲の××にいたんですよ」「昭和二十一年に大連から引き揚げてきましてね。あなたと同年生まれで」などと話しかけてくる。戦後に厚生省が推計したデータによると、敗戦当時の満洲国および関東州の在留日本人は約百五十五万人、うち引き揚げまでに約二十四万五千人が死亡したとみられるので、約百三十万人が逃げるようにして祖国に帰りついたことになる。
それから六十年余、どのくらいが故人になったのだろう。私の一家は七人で引き揚げてきて、すでに四人が亡くなっているので、全体の生存者は五、六十万人か、もっと少ないかもしれない。みんな高齢者である。
それが全国に散らばり、〈なつかしの満洲〉をしのびながら晩年を過ごしている。関東州は遼東半島南部にあった日本の租借地、いまの大連市の一帯だ。戦前の地図では本土と同様赤く塗られていた。
さて、前置きが長くなったが、〈旧満洲〉という呼称に釈然としないものを感じている時、〈気になる「満洲」の語源〉という一文にめぐり合った。満鉄の関係者で組織する満鉄会(松岡満寿男会長)の会報最新号に掲載されていたもので、筆者は大連満鉄育成学校二十期生、文筆業の渡辺淳さん、なんと九十七歳の高齢である。
渡辺さんは、〈私どもが大切にしている「満鉄」は、南満洲鉄道株式会社の略称だが、その中の「満洲」の名称をいまの子らに説明するのは骨が折れる。地名だといっても戦後の地図にはないし、現在の中華人民共和国では使わないからだ。しかし、社名からこの文字を消すことはできない〉
と満鉄人の不満から書きだしている。〈満洲〉は死語になりつつある、と渡辺さんは嘆く。〈満洲〉と書こうとすると、「 」をつけろとか、(中国東北部)を入れろとか、〈旧満洲〉とせよ、などと注文がつくのが、その証拠だという。
しかし、中国大陸の東北部に興亡した諸民族と土地の呼び名として〈満洲〉は確実にあった。〈満洲〉の漢字を用いたのは、中国最後の王朝として約三百年続いた清朝の時代(一六一六-一九一二年)だった。明の滅亡に乗じて北京に遷都、清朝は最盛期を迎えるが、辛亥革命で滅んだ。
日本では明治の日清戦争も日露戦争も〈満洲〉で戦われ、一九〇六年に設立された満鉄の社名にもそれが使われることになる。満洲族による清朝が崩壊し、共和制の中華民国(一九一二-四九年)に移ると、漢族の天下になった。〈満洲〉の地名を漢族は受け入れない。死語の道をたどる。
◇満洲の名に込められた意味に思いをはせる
だが、中国の興亡史をちょっと振り返っただけで、一九四九年に建国された現在の中華人民共和国はまだ六十年余、満洲族の清朝は五倍の歴史を刻んだのだ。それは消えない。過去の王朝、過去の地名だから〈旧〉を冠するのは仕方ないかもしれないが、もう一つ、日本人には素直に胸を張れない〈満洲〉の残像がある。
それは、一九三一年の満洲事変によって、日本が中国の東北地方を占領し、強引につくり上げた傀儡(かいらい)国家〈満洲国〉への負い目だ。敗戦まで十三年間の短い寿命だったが、そこで生まれ育った私のような満洲少年は、言い知れぬノスタルジーと引き揚げ後に自覚することになる贖罪(しょくざい)の意識が混然となって、〈旧〉の一字に思いを込めることになる。
ところで、渡辺さんは、満洲族には満洲語があり、満洲文字もあるのに、漢字で書くのはなぜか、と言う。語源にかかわりがあるらしい。が、〈満洲〉の意味がわからない。日本の『大百科辞典』(平凡社)には、
〈「満洲」の名称は清朝の太宗時代、自らの国をマンジュ国と称したことに始まり、民族名および地域名として定着した〉としか記されていない。次はマンジュの意味がわからない。
渡辺さんは、多くの資料を調べたすえ、『最後の公爵 愛新覚羅恒煦(こうく)』(一九九六年・朝日新聞社刊)という本に答えを求めた。著者の愛新覚羅烏拉熙春(アイシンギョロウルヒチュン)さんは清朝乾隆帝の後裔(女性)で、文学博士、女真語・満洲語の専門家だ。同書は祖父の半生と業績を綴ったものだが、巻頭で、〈一六三六年、清の太宗は中国を統一するために、自己の民族「女真」を「満洲」と改名した。
「満洲」という名詞は、「勇士」「英雄」などの古義を持つもので、四方に満ちる朝日のごとく東北アジアに勃興した民族にとって、疑いなく最良の命名であった。それは満洲族が世界の舞台に登場するにあたって打ち出した最も輝かしい脚光であった〉と高らかに書いている。
これで、〈満洲〉の文字の意は、日本の辞書には欠けているが、女真族から発した民族が、世界に向けて名づけた国名〈マンジュ〉の漢字への音訳であり、〈マンジュ〉の意味もわかった、と渡辺さんは結論づけた。
いま五十二歳の愛新覚羅さんは、また、〈祖父は、満洲語はとても美しい言語で、特に満文詩は頭韻もあれば脚韻もあり、聞きやすく覚えやすく、優美だといつも言ったものだ。しかし、漢族はこれを認めようとせず、いつも満洲族の一切をからかった〉と怒っている。からかった、に万感がこもっている。
民族対立のない日本では理解しにくいが、ある時期、それに深くかかわった前歴を忘れるわけにはいかない。大変勉強になった。〈旧満洲〉のこだわりがいくらか薄れた。(サンデー毎日)
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5651 少々理屈っぽい話になりますが 岩見隆夫
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コメント
女真族は仏教を信仰し、なかでもとりわけ文殊菩薩を信仰していました。<文殊>は梵語の<マンジュシリ>の音訳で<曼珠>と書くこともあります。女真族は自分たちの民族の呼称を<マンジュ>に改めることにしました。中国の王朝は代々(漢以後)五行(木火土金水)の中からシンボルを選んでいます。ジュルチン改めマンジュが強大になってきた時の王朝は明王朝で、これは<火>をシンボルにしていました。そこでマンジュは、<火>に克つ<水>をシンボルにしたのです。ですから<マンジュ>に宛てる字もサンズイの附いたものを選び<満洲>としました。王朝名の<清>もサンズイが附いています。ざっと以上の様なことが、高島俊男氏の<お言葉ですが>に書いてあったと記憶しています。