545 レーガン日記の世界最終戦争 古沢襄

近く公刊されるレーガン元米大統領の日記で、1981年6月にイスラエルがイラクの原子炉を爆撃した時には「ハルマゲドン(世界最終戦争)は近いと本当に思った」という記述があるという。
ハルマゲドンといえば、日本では地下鉄サリン事件のオウム真理教が、その教義においてハルマゲドンの到来をいったので、荒唐無稽な人類滅亡の言葉ととらえている人が大部分であろう。だから、そんなものがくる筈がないと、多くの人は考える。あるとしても何万年も先のことだと、思うのは常識ではないか。
だが、人間は心の奥底でハルマゲドンを常に意識してきた歴史を持っている。人はいずれは死を迎えねばならぬ宿命にあるのだから、人類もいずれは滅亡の日がくるだろうと考える。死後の世界を描く人もいれば、滅亡の後に至福の時代が来ると説く予言者もでた。
20世紀の終わりが近づいた頃、ノストラダムスの予言詩が流行った。ルネサンス期のフランスで医師のミカエル・ノストラダムスは、予言詩「百詩篇集」を書いたのだが、その中に次の一節がある。
             1999の年、第7の月
             大いなる恐怖の大王、天より来たる
             アングルモアの大王を甦らさんと
             その先も後も火星がとぎれなく統べん
この一節が世界の終わりを意味するといわれた。もっとも「恐怖の大王」とは、中世では日食を意味するという反論もあって、ノストラダムスの予言詩をめぐって論争まで起こっている。米国の超能力予言者・ジョン・クリズウエルは、世界の終わりは1999年8月18日と日にちまで指定したのだから世界中が大騒ぎした。
今になってみれば阿呆らしい無駄騒ぎなのだが、世紀末というのは常識で律しえない独特の世紀末的なムードがあった。もともとハルマゲドンは、新約聖書の中の「ヨハネの黙示録」で、世界の終末における、善と悪の最終的な決戦として記述されている。その世界最終戦争で”善”が勝ち、この世界は平和になるという思想。
この考え方は、仏教における終末論、末法思想にもある。お釈迦さまが入寂した後には、正法(しょうぼう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)の三つの法期があらわれて、末法の時代になると、天変地異が相次ぎ、至る所で戦争が起こるという。
日本では「聖徳太子未来記」の予言が伝わってきた。幻の予言といわれるものだが、釈迦入滅後、二千年してあらわれる末法の世に、衰微した仏教が日本で再び興隆するという予言である。戦国時代の「応仁記」序はじめ聖徳太子未来記を引用する文献があまたあるのだが、肝心の「未来記」は発見されていない。
これとは別に「天皇百代」という説がある。吉備真備が中国から持ち帰ったとされる予言書「野馬台詩」の中に、東海の国は百世にわたって代々栄えるが、戦乱の世に入るや、皇室は絶え、内乱があって、この国はあとかたもなく滅びるという予言。第百代天皇は南北朝が統一した後小松天皇だから「天皇百代」説は、すでに破綻している。
ただ、一見、荒唐無稽のように思われる予言や末世の宗教観も、その時代状況によっては、大きな力を持つことを忘れてはならない。戦前の陸軍で異端児といわれた石原莞爾は、法華教に帰依した宗教家でもあったが「世界最終戦争」を唱えた。
日米戦争の最中に石原は訪ねてきた斉藤山形県知事が「対米戦争の見通しはどうでしょうか」と尋ねたら「ご心配にはおよびません」と即座に答えている。一呼吸おいて「かならず負けます」と言ったから斉藤知事は驚いた。
「負けても日本民族は滅びません。負けて目が覚めてから、はじめて立ち上がり、日本の本当の姿を現しますよ」と石原は平然として言ったという。石原の世界最終戦争論は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、最後の世界最終戦争が起こるとみた。
この世界最終戦争は「飛行機は無着陸で世界を回り、破壊兵器によって、開戦の次の朝には敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊される。だから戦争は短期間で終わる」と石原は予言した。神の審判が下る最終戦争で、世界は一つになり、素っ裸の丸腰で、真の平和国家を創造する日本が、平和世界の主役になると占った。
これも軍人らしからぬ無防備平和論なのだが、宗教家・石原莞爾としてみれば、一つの終末平和主義といえるかもしれない。イランに対してイスラエルが米国には無通告でトマホーク1000発を打ち込むという物騒な観測ニュースも最近あった。そんなことをすれば、レーガンがおののいた「ハルマゲドン(世界最終戦争)は近いと本当に思った」ことになりかねない。
その意味でレーガン日記が出ることは、非常に時宜を得たことだと思っている。

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