1811 メキシコ五輪の亡霊と悪夢 宮崎正弘

蘇る40年前の「メキシコ五輪」の亡霊と悪夢。開会式直前、反政府抗議集会で、おそらく325人が虐殺された。
1968年、メキシコでオリンピックが開催された。
独裁政権は、五輪を政治的に利用して国際的イメージを高め、政権の合法性を獲得するためにあの手この手の作戦を練る。独裁に反抗する勢力を根こそぎ壊滅させようとする。治安の維持が最大の命題である。
北京五輪は昨年七月に国内治安対策関係省庁が北京で一同に会して、所謂「テロリスト対策」に最重点をおき、国内に秘密監視拠点を600ヶ所以上の設置を決めた。
期間中、「私服」がのべ200万人動員される。北京ほかヨット会場の青島、サッカーの瀋陽などで十月十日まで特別警戒に入る。
実際に筆者は先月末から黄金週間をまるまる中国で過ごしたが、各地の警戒、とくに空港における荷物検査は極めて厳しかった。
さて四十年前のメキシコ五輪でなにが起きたか。
当時のメキシコは一党独裁の国だった。報道の自由はなく、司法は政治に従属していた。そのうえで、経済は発展していた。
まさにいまの中国に似ていた。
五輪直前に反政府運動が盛り上がり、40万人の集会がメキシコシティで開催された。五輪は10月12日からの開催予定だった。
その開会式の十日前に、もう一度、大集会が計画されていた。若者らが立ちあがり、政府の腐敗と独裁に抗議した。
特殊部隊が集会の会場に待ちかまえていた。
「夕暮れとともに機関銃をぶっ放し、非公式統計で150名から325名が殺された」(英誌『エコノミスト』、08年4月26日号)。
メキシコ政府は「犠牲になったのは20名で、いずれもテロリストの狙撃による」などと発表した。
チベット暴動を「ダライ一味の陰謀」と言いつのり、民主活動家を片っ端から拘束している、どこかの独裁政権と遣り方は酷似している。
真相を記事にしようとした記者は「秩序を乱す」容疑で容赦なく逮捕された。メキシコ五輪直前の虐殺は、それから三年封印され、さらにメキシコに於ける独裁政治は、その後も32年に亘って継続した。
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