2922 理路整然たる非常識 渡部亮次郎

君、シャッターを押さんかね
外務省の対北朝鮮のやり方を見ていて「理路整然たる非常識」は、なるほど日本外務省の体質になっているのだと、つくづく思う。拉致被害者の死亡年月日を隠したと言われて、せっかくの小泉訪朝に冷や水をぶっ掛けた。
しかもこうなるとは彼らは予想もしてなかったのだから、きわめて残念、というより、世間ではこういうのを馬鹿という。
外務官僚を「彼らは理路整然たる非常識の群(むれ)だ」と断言したのは、私がNHKの記者から外務省に引っ張られて秘書官を務めた園田直(そのだすなお)外務大臣(故人)その人である。
日中平和友好条約を締結した人として記憶されている。旧制中学(熊本県天草の島の県立天草中学校)しか出ていない、素人外務大臣だったが、1977年から81年にかけて福田・大平・鈴木の三代内閣の外務大臣をつとめた。私も秘書官として外務省を初めて知った。
園田氏の趣味は武道、ラジコン、カメラと多彩だった。政敵はそれに女性だろうと揶揄したが、園田大臣は外務省へ行ってある時、キャリアの人に「君、写真を撮ってくれよ」と頼んでぶったまげた。キャリア氏はカメラを構えたまま、ただじっとしている。
「君、シャッターを押さんかね」と催促したら「え、これ全自動じゃないんですか」。要するにカメラのことは何も知らなかった。おそらくピョンヤンで生存者にわざわざ逢いながら、写真も録音も撮ってこなかったと怒られたあの公使は写真はカメラマン、録音は録音技師がとるもんだと思っていたに違いない。
はなから自分がとるもんだとは考えても見なかったに違いない。普通の人はそうじゃなく自分で撮ってこなくちゃならないものだと考えるから、多分、公使は撮影も録音も禁止されたのだろうと同情し勝ちだが、真相は初めから持ってなかったのだ、と思った方がいい。理路整然たる非常識なのである。
検事だって弁護士になる
次年度の予算折衝の時期になって、官房長(後に英国大使・故人)と総務審議官(後に中南米局長、ソビエト大使)がやってきて「大臣、そろそろ確認の根回しを」と要請に来たので、大臣は沈黙してしまった。
昨年の予算折衝のとき頑張って「中南米局は来年度の検討課題とする」との約束を政府、与党の要人に取り付けた。もともとは、外務省へ来る前は官房長官として「各省一局削減」の音頭をとっていたのに、外務省へ来た途端にそれをひっくり返して「中南米局設置を何とか」と要求して記者団に「おかしいじゃないか」とひやかされた。
「検事だって弁護士になるじゃないですか」といってごまかしたが恥しかった。それをいまさら要所をあらためて巡回したら、去年の約束は無かったことになる。むしろこのままじっとしていたら、約束は既定事実として実現するのだ。
そんな理屈も分からないのか。こいつら大学の成績は良かったのだろうが、頭は馬鹿だね、理路整然たる非常識と言うしかないね。こういうのが国の舵を握っているんだじぇ、と天草訛りで嘆いた。
だから、日中平和友好条約だって、6年も折衝しながら、なんら前進しないのには、どこかに理路整然とした、しかし非常識がある、と考えたのだろう。
密かに北京生まれの剣道の弟子を黒衣(くろこ=忍者)に仕立てて北京へ何度となく往復させ、内情を独自に探らせたものだった。その結果は次官にしか伝えなかったが、福田総理がどんなにブレーキを踏もうが、自分が北京に行きさえすれば条約の調印は可能だと早くから確信していたのである。
平坦な道は敵のワナばい
若くして軍隊に志願し、野戦に11年もいた。最後は特攻隊長。出陣が曇り空で延期になったら終戦となって生き残った。人生の勉強は弾の下をくぐりながら命がけでして来たのだから、何でも現場主義だった。
日本の外務大臣は三木内閣まではアセアン(東南アジア諸国連合)の外相会議に参加できなかった。福田内閣になって初めて招待状が来た。タイのパタヤで開かれた。随行した。さあ、これから会議という寸前「ナベしゃん、会場を見てきてくれや」
行って驚いた。アセアン側は5カ国が横1列に並び、日本は向かい合ってたった一人。これじゃ口頭試問じゃないか。事務局に掛け合ってなんとか6角形にしてもらった。
その折衝はキャリアはさすがにぺらぺらとやるが、会場を事前に見るなんてことは絶対にしなかった。佐々木小次郎を迎え撃った宮本武蔵の例にある通り、交渉の場所取りは勝負を左右するのである。
キャリアの皆さんは儀礼上のシチュエーションにはうるさいが、交渉のシチュエーションはノンキャリア任せだから、いつも小次郎になる。
「ジャングルを行くとね、必ず道が二股になる。左は平坦な道、左は険しい。わたしは隊長として必ず険しい道を執った。なじぇか分かるかね。平坦な道は敵のワナばい。必ず待ち伏せしとるばい」。
ある時、士官学校出の隊長が来た。突如敵の総攻撃に出遭ったた。隊長は張り切って先頭に立とうとする。恰好のいいところを見せないことにはと思いながらも敵に遭遇するのは初めてだから興奮気味である。
死なれちゃ困るから「隊長、危のうございます」と言えば言うほど身をさらそうとする。園田が「隊長、そこでは戦況が良く見えましゃえん、どうぞこちらへ」と岩陰に案内したらホッとしていた。「キャリアとか何とか言ったって、中身はこんなもんさ」といわんばかりだった。
官僚とは総じて、自分のことしか考えない。日朝交渉だって、拉致問題の解決なくして前進は有り得ないと総理にいわれれば、犠牲者の親族の胸中よりは、交渉の前進を優先して考える。
結果として、親族を粗末に扱ってしまったことが親族のみならず国民の反発を買い、交渉そのものの成果と自分の実績を殺(そ)ぐことになるなんては絶対に考えない人種なのである。
いな、いつの間にか性格が捻じれてしまっているのである。そういう人たちだから、こんごともチョンボの連続だろうと思う。なにしろ自分の考えたり、やったりすることのすべてが理路整然たる非常識なんだとは全く気づいていないのだから。(杜父魚文庫より)2002/10/13
 
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