マスコミでは中国の天安門事件から20年が経過したことに関して、このところその記事が多いのだが、時の政府の独裁ぶりに対して民主化を求める学生の民主勢力が、共産党軍の戦車によって押しつぶされ、体制を転覆することができなかった日である。
趙紫陽総書記は、一時、民主化の動きを支持したが。結局のところトウ小平勢力によって実質的に更迭され、その後は軟禁生活を余儀なくされた。
その後、トウ小平による「南巡講話」によって、体制とは関係なく経済成長を鼓舞し、現在の経済面だけの「繁栄」を現出し、また江沢民により、反日愛国教育を施し、国民が攻撃する的をわが国に絞った政策を行うこととなったが、その全ての発端はこの事件の本質的問題を頬かぶりした姿勢の選択にあった。
歴史上、民主化の動きが抑えられると独裁体制を強化する動きが更に強くなる傾向があるが、民主勢力の動きは地下水の如く流れていることも事実である。
小生には人民のための戦車が一度、人民に対して銃砲を向けた事実は国家的にもぬぐい去れるものではなく、経済発展が国民と地域の格差を生むことにとより、決して国民の生活が恵まれたものでないことを考えると、もはや中国も何を目的とした体制の維持なのか、政府が説明のつかない矛盾を抱えているように思う。
長い間、このままの状態の中国は続かないという論があったが、しかしまだ中国は存在するばかりか、日本にとっては食糧安保、領海安保、そして中国海軍力の増強といった、迷惑なことばかりを起こしている国として映っている。
天安門事件とは一体何であったのか、実は中国の指導者自身が総括をしていないのではないかと思うことしきりである。
その運動に関わった石平氏(拓殖大学客員教授)が8月15日の戦没者追悼祈念講演会で講師として来られることとなっている。そんなことを思いながら、関係記事に目を通している。
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