政界、渦巻きのなかにある。野田佳彦首相を筆頭に、多くの顔が浮かんだり、沈みかけたり。だれが渦を抜け出すか、だれが渦に巻き込まれ消え去るか。戦国の世を思わせる。
表の顔は野田、谷垣禎一自民党総裁、山口那津男公明党代表、そして小沢一郎民主党元代表だ。4人とも、消費増税法案をめぐって、もはやぶれない。ぶれようがない。
外枠から石原慎太郎東京都知事や橋下徹大阪市長、中央・既成勢力の屋台骨が傾くのではないか、とうかがっている。外様とあなどれない。世間が熱い視線を注いでいるからだ。
もう一人、民主党の老幹事長、輿石東の采配が気になる。大詰めで、輿石批判があちこちから噴出し、
「コシイシでなくオキイシ(置き石)だ」
などと言われだした。野田機関車が走るレールの上の置き石、つまり野田の中央突破を阻み、脱線させようとしている、と。消費増税推進派は、
「輿石が言う党内融和は事なかれ主義だ」
「野田は輿石を越えろ」
「輿石を切れ」とオクターブを上げる。
しかし、そうだろうか。2度の野田・小沢会談を輿石がセットしたが、結果は決裂によって<小沢切り>の環境を整えることになった。
また、問責2閣僚問題も、輿石は、「更迭の必要はない」と再三主張したが、いざ野田が決断すると、反対しない。
自民党の要求に対して、野田が1枚ずつカードを切りやすいように、輿石が仕向けてきたという見方もできるのだ。置き石ではなく、野田機関車を目立たないようにうしろから押している。野田は、
「信頼している」という評価をいまも変えていない。
ところで、ナンバー2の仕事は一筋縄ではいかないと言われてきた。政治評論家、宮崎吉政の「NO2の人?自民党幹事長」(講談社・81年刊)によると、幹事長は戦前と戦後で大きな違いがあるという。
政友、民政(憲政)両党時代、幹事長は党首を補佐するといいながら、党人政治家の最高峰であり、独自の使命感を持っていた。幹事長から党首を狙った例はほとんどない。これが戦前型だ。
戦後型は総理・総裁への最短・有効コースとして幹事長のポストを求めた。対照的である。宮崎によると、
<戦後史の中で、自由党2代目の幹事長になった大野伴睦のイメージがもっとも強烈で、戦前型の典型的な生き残りだった>
という。宮崎の本は、河野一郎から桜内義雄まで21人の幹事長論だが、そのあとに登場した寝業師の金丸信(中曽根康弘政権)も戦前型と言っていい。総理・総裁を狙うことなく、
<私ほど放言した幹事長はいないだろう。新聞、テレビだけでなく、漫画や週刊誌の格好のタネになったが、それも中曽根さんを守るために一人で泥をかぶるつもりでやったことだ>
とのちに自負を記している。(「私の履歴書」日本経済新聞社・88年刊)
金丸と同じ山梨県出身の輿石も、総理・代表がめあてではない。金丸がよく口にした、「人は城、人は石垣、人は堀」
は、輿石が好んで言う、「顔合わせ、心合わせ、力合わせ」と共通していて、面白い。
幹事長就任を固辞する輿石に対して、野田の最後の殺し文句は、「私のおやじと思っている」だったという話は以前も当コラムで紹介したことがある。76歳と55歳の老壮コンビ、アウンの呼吸というより親子の呼吸で、という感じだ。(敬称略)
杜父魚文庫
9910 「私のおやじと思っている」 岩見隆夫
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