日本人にとっての終戦記念日は、当然ながら多様な反応をみせつけます。それぞれの人にそれぞれの思いがあるわけです。そんな一つを紹介します。
<<【正論】終戦67年 平和安全保障研究所理事長・西原正>>
■済んでいない日本人の戦後処理
≪母の目に初めて涙見た敗戦≫
私の一家は金沢市で敗戦を迎えた。小学校2年の私には敗戦の意味は分からなかった。が、8月15日の玉音放送を聞いた母が「日本は負けたのよ」と言って涙していたのは今も鮮明に覚えている。母の涙を見たのは初めてだった。
敗戦は、子供の目にも明らかな大きな変化をもたらした。まずひもじさである。食糧不足で栄養失調になり、足がむくみ、ちょっとした傷も膿んで治らず閉口し た。石鹸の欠乏、公衆浴場代の節約などで不潔になり、多くの人の頭髪や衣服に多量のしらみがたかっていた。学校では、米軍支給のDDTを頭髪や背中に散布 された。
毎朝、会釈して登校していた校門の二宮金次郎像が、「非軍国主義化」措置として取り除かれ、占領当局からの指示で、新しい教科 書の配布が間に合わなかったためか、上級生譲りの古い教科書の中の軍国主義や愛国主義教育にあたる「問題箇所」をすみ筆で消す作業をさせられた。学校行事 等での日の丸の旗掲揚も禁止された。
悲惨な敗戦から20年で、日本は見事、経済復活を果たした。1964年、日本がアジア初の五輪開催国になったことは国際社会の一員として認められた証であった。だが、日本人の多くは、経済繁栄の陰で同邦人に関し3つの重要なことをないがしろにしてきた。
≪残留邦人帰還と遺骨収集なお≫
一つは、敗戦で海外に残された同邦人の全員帰国のことである。折々に報道される中国残留孤児の多くは、日本国内に肉親を見つけて帰国を果たした。それでも 全員が帰国できたわけではない。残留孤児は他の国にもいる。フィリピン日系人リーガルサポートセンターによると、「今なお身元が判明しない残留2世が 800人以上いる」という。北朝鮮にも、拉致被害者とは別に敗戦後から残留している日本人が相当いる(あるいはいた)可能性が大きいと思う。
これらの人々は、帰国したくても身元の証明ができなければ帰国できない。自らも高齢であり、日本国内に身寄りがいても、高齢であろう。政府は非政府組織(NGO)などの協力を得て、一刻も早く帰国を促進すべきでないか。
二つ目は、海外戦没者の遺骨収集である。厚生労働省によると、海外戦没者は約240万人いたとされる。そのうち遺骨送還概数は約半分の約125万柱にしか ならないという。残りの約115万柱の未送還遺骨の送還可能性は年を追って困難になっているという。相手国の事情により、収集困難な遺骨も約26万柱にな るという。
戦後67年たってなお100万柱余の遺骨が未送還状態にあるというのは、さまざまな事情があったとはいえ、政府の怠慢ではな かったか。同省は「残存遺骨情報の収集に努めている」としているが、長い間に現地の地形が変化したり海没したり建設工事過程で埋没したりして、遺骨発掘が 不可能な状況は増えてきていると思う。
激戦の地、硫黄島には未収集の遺骨が多く、自衛隊や米軍が使う滑走路の下に相当数の遺骨が眠って いるとされ、収集には使用を中断して滑走路を掘り返す必要があるという。そうすればいいではないか。戦後の日本再建は、尊い人命の犠牲の上に成ったことに 思いを致し、英霊に哀悼を表すべきである。東京都の尖閣購入方針で多くが寄附したように、政府も、財政難なら寄付を募ってでも早急に日本人自身の「戦後処 理」を済ませるべきではないのか。
≪自らの手で裁くべき戦争責任≫
三つ目は、戦争責任の問題である。連合国による追 及は、東京裁判によってA級戦犯の処刑に帰結した。この東京裁判に関しては、勝者が敗者を事後法によって処刑した報復裁判であって、無効だったとの厳しい 批判がある。それは妥当な点であるが、日本は忍んでこれを受け入れることによって、戦後の国際社会への復帰が可能になったという事実も残る。
それよりも、日本人が、連合国に日本の戦争責任を裁かれる一方で、自分たちの指導者の戦争責任を自らで裁くことはして来なかった点に、問題はなかったのだ ろうか。戦況が日本に不利に展開していく中で、大本営が連戦連勝のニュースを意図的に流したという当時の指導者の責任を、日本人自身が問わなくてよいのだ ろうか。
1944年11月以降、米軍がサイパン島からB29爆撃機を日本本土に飛来させ、日本人の死傷者が急増した段階で、休戦ないし は敗戦を決めていれば、その後の凄惨な沖縄戦や広島、長崎への原爆投下で何十万という日本人の尊い命を失わなくてすんだのではなかっただろうか。戦争終結 の時期を誤った戦争指導者の責任は、日本人自らが問うべき課題だと思う。
ひもじかった小学生の頃を振り返り、それよりはるかに大変な苦労をされながら、いまだに帰国を果たせない同胞や英霊がおられることを思うとき、日本人の戦後処理は済んでいないのだ、と痛感する。67年後の夏に銘記したい。(にしはら まさし)
杜父魚文庫
10286 終戦記念日になにを思う 古森義久
古森義久
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