2日の日曜日、思い立って伊豆半島の突端、静岡県下田市蓮台寺の<吉田松陰寓寄処>に出掛けた。再訪である。
わらぶき屋根の貧相な木造家屋だ。静岡県史跡に指定され、入場料100円。説明員の中年女性が語る。
「松陰24歳の時です。ここに3日間隠れて、夜陰、相模湾の黒船の様子を探り、ついに決行しました……」1854(安政元)年3月27日、松陰は同志1人と小舟で米艦に乗りつけ、
「われわれはアメリカに行きたい」と訴えるが、断られた。黒船の本国を実地に知ることが緊急課題と考えたからだが、密航は国禁、紆余(うよ)曲折を経て、59年処刑。さらに9年後、門下生たちが明治維新の扉を開く。
松陰スピリットは、いささかの私心なく、公(おおやけ)のために捨て身になることだった−−。
<維新>という言葉は当時は使われていない。孔子の編といわれる中国最古の詩集「詩経」のなかにあり、政治体制の一新、つまり革命の意味だ。
1930年代、軍部急進派や右翼がしきりに<昭和維新>を唱えたが、一新には至らない。この言葉が政治の表舞台に出てきたのは、民主党の初代首相、鳩山由紀夫の所信表明演説だった。
「日本は140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、いわば<無血の平成維新>です。今日の維新は、中央集権から地域・現場主権へ、国のかたちの変革の試みです……」
と鳩山は訴えたが、言葉の空回りの観があった。前後して皮肉な現象が起きる。鳩山のアピールとは逆に、地域から中央に、<維新>がせりのぼってきたからだ。
いま、政治家が2人寄れば、大阪維新の会が必ず話題にのぼる。まだ次の衆院選の候補者が一人も決まっていないのに、選挙専門家が<維新の当選者は約100人>とはじくのも、異常なことだ。
評価もマチマチで、長老の野中広務元官房長官は、「維新の賞味期限は2カ月と言ってきた。メディアの注目を浴びることを次々に打ち上げ、矛盾ばかりで、この国をどうするかは言わない。
メディアが悪いですよ。まだ(中央の)政党にもなっていないのに、持ちあげる。日本の国を狂わせてしまう」(2日の民放テレビで)
と手厳しい。野中と同じような懸念を抱く人は少なくないが、賞味期限2カ月は当たらなかった。
維新旋風は簡単に収まりそうにない。自民党の総裁選に意欲をみせる安倍晋三元首相は衆院選後の自民・維新連携にまで言及して驚かせたが、民主党首脳の一人も、
「何度も代表の橋下(徹・大阪市長)さんに会ったが、いい人だ。礼儀正しいし」などと言う。中央政界では維新と橋下に対する高い評価、嫌悪感、恐怖心が混在し、一種異様な空気が広がっている。
150年ほど前、幕末の鎖国日本も外からの開国要求にさらされ、極度の混乱のなかにあった。これに立ち向かった松陰が処刑の前に残した、
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留(とど)め置かまし大和魂
という歌はあまりにも有名だ。捨て身の構えがほとばしっていた。<維新>を目指す点は橋下も共通しているが、橋下には捨て身でなく、ポピュリズム的な融通無碍(むげ)が目立つ。(敬称略)
杜父魚文庫
10473 橋下維新の「融通無碍」 岩見隆夫
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