8月は日本では「平和」の月となります。広島、長崎への原爆投下、そして15日の終戦、敗戦の日。
戦争の絶対排除と平和の絶対保持が語られます。この平和論を私は「8月の平和主義」と呼んできました。
さて8月6日の広島市での平和式典での松井一実市長の平和宣言をテレビ中継で視聴しました。NHKの国際放送でその一部が報じられたわけです。その宣言のなかに以下の言葉がありました。
「唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間、戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります」
「オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは(核抑止の)『絶対悪』による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりで全力で取り組んでください」
さてまず第一の「我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す」からこそ「日本国憲法の崇高な平和主義」に徹する、という主張は、日本国の防衛という概念の否定です。外部から軍事力に基づくどんな脅威や威嚇、あるいは攻撃がかけられても、日本は「憲法の崇高な平和主義」に徹する、というのです。
この態度は国を守ること、脅威や威嚇に屈しないこと、という主権国家の防衛政策の基本を否定することになります。日本への外部からの攻撃にも反撃もしない、ということになります。日本に軍事圧力をかける外国に対し、日本側も防衛態勢を整え、その侵略を思い留まらせる、つまり抑止するという、他の諸国が保持する概念も否定することになります。
「崇高な平和主義」というのは外部からの軍事圧力にはすべて恭順の意を表する、つまり降伏することを意味しているのです。他に解釈があるでしょうか。憲法があれば、日本の平和が守られるという断定を受け入れるならば、自衛隊も日米同盟も不要となります。ただしその場合の「平和」とはなにか。外国の要求に対して、降伏し、服従する「奴隷の平和」となるでしょう。
松井市長の二番目の言葉も、核抑止を捨てて、「信頼と対話」で平和を守れ、という主張です。
しかし国際関係での信頼や対話は一国だけが唱えても、なんの意味もありません。中国が軍事攻撃をほのめかしながら、尖閣諸島を放棄せよ、と日本に求めてきたとき、―そして現に中国は尖閣が中国領だと一方的に主張しているのです―、日本は「信頼と対話」を説けば、その侵略が防げるのでしょうか。
広島や長崎の被爆者の方々の悲惨は日本国民全体の教訓として語り続けられるべきです。核兵器の廃絶も道義的には貴重な目標です。しかしだからといって、日本という国家も国民も外部からの軍事的な圧力には、すべて服従すべきだと主張することは、日本という主権国家の存在の否定となることも、忘れてはなりません。
日本の「8月の平和主義」というのは国際的にみれば、無抵抗、非武装、降伏の平和主義となるのです。
杜父魚文庫
16841 広島市長が宣言する無抵抗平和主義 古森義久
古森義久
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