ブログ読者は東京地区がダントツでトップ。全体の22・18%、14277人がアクセスしている。1月3日午前7時現在のグーグル検索で調べたら「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」がダントツのトップ記事で読まれていた。2位以下は次の様だが、再掲記事が3本、トップ・テンに入っている。
正月三が日はニュースが乏しいので、再掲記事を使ったと思われてしまいそうだが、4位の「古代史には推理小説を読み解く楽しさ」を理解して貰うには「③消えた「獣祖神話」と残った「感精神話」(再掲)」「⑤聡明で誇り高きブリヤート娘たち(再掲)」「⑨草原の民・古代トルコ民族の足跡(再掲)」の解説記事が必要だった。
①本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様 古澤襄
②中国、外務次官補を解任「規律違反で調査」 古澤襄
③消えた「獣祖神話」と残った「感精神話」(再掲) 古沢襄
④古代史には推理小説を読み解く楽しさ 古沢襄
⑤聡明で誇り高きブリヤート娘たち(再掲) 古沢襄
⑥安倍首相 長期政権の道筋は 古澤襄
⑦石破地方創生相 9月総裁選不出馬の意向 古澤襄
⑧皇居で新年祝賀の儀 古澤襄
⑨草原の民・古代トルコ民族の足跡(再掲) 古沢襄
⑩在日中国人マフィアの最大組織「ドラゴン」のボスを逮捕 宮崎正弘
いつも北国の読者傾向を気にしている。8位北海道、16位長野県、17位宮城県、18位福島県、19位新潟県、24位岩手県、25位山形県、32位青森県、33位秋田県とまずまず。長野は母の里、岩手は父の里、親族・知人に杜父魚ブログを読んで戴いていると思うと嬉しい。
私は日本人のルーツは北方系だと思っている。DNA鑑識という科学的な立証だけでない。昭和初期にはロシア文学が知識階級の間で一世を風靡した。信州の新田潤が日本のゴーゴリと高く評価「片意地な街」が代表的作品と言われた。
戦後の新田さんの活躍が期待されたのだが、売れっ子になってカストリ雑誌につまらない作品を書き飛ばしている。親友の高見順が「新田はあんな作品を書く作家ではない」と気遣っていた。北鎌倉の高見さんの家に母と一緒に行った時に新田さんを気遣う高見さんの真剣な表情に触れて、帰り道の母は「文士という”さむらい”の名が付くのが高見さん。お前もよく覚えて置きなさい」と私を諭した。
だが、当時の私は母に隠れて高円寺の借家にいる新田さんのところに日参してじぶんの短編小説(といっても習作程度だったが)を見て貰っていた。早稲田大学に席を置いていたが、大学には行かずに新田さんのところに直行。早稲田はもちろん中途退学のつもりでいた。作家になるつもりでいたから、大学卒業の肩書きはいらないと信じていた。
私が持ってくる作品を読んでくれていた新田さんから「小説は文章が上手というだけでは不十分。社会的な経験をもっと積んでから小説を書きなさい」と諭された時にはショックを受けた。そんな新田さんを見ているから、「文士という”さむらい”の名が付くのが高見さんだけでない。新田さんも文士」と声には出さなかったが、母に反発して不機嫌になった記憶が生々しい。
ジャーナリストになったのは、新田さんがいう社会的な経験を積む二足の草鞋だったから、いつも途中下車のつもりでいた。
ようやく短編小説らしいものが書けたのは同人雑誌「星霜」25号に掲載された「若死の予感」。
菊池寛のお弟子さんだった那珂孝平さんから、博多の福岡支社長室にハガキを頂戴した。
<本日、貴君の「若死の予感」を校正しながら読み、大へん感銘を受けました。これはもっとくわしく書ける材料と思われます。「星霜」25号は5月初旬には出ます。これは創作として出していいものです。感心したのでちょっと一言まで。1987・4・8>
追いかけるように
<「若死の予感」に続く作品を書きなさい。日本では数少ない短編小説の作家になれます。>
だが、私は途中下車のつもりが52歳。小説を書く才能はないとあきらめていたから、いまさら短編小説の書き手で、いちから出直す気力も失せていた。31年前のことになる。サラリーマン稼業のまま定年を迎え、役員になってしまった。
あの世に行ったら、那珂さんに叱られるのを覚悟している。
杜父魚文庫
18105 亡き那珂孝平さんから叱られそう 古澤襄
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