シベリアの政治都市イルクーツクからシベリア鉄道で十一時間北上するとタイシェットという北辺の街がある。シベリア第二鉄道の要衝でもある。このタイシェットは今、二つの顔をみせている。光の顔と影の顔というべきだろうか。私は三年前にこの街を訪れている。
タイシェットはバイカル湖の北西、水力発電所があるブラーツクの西に位置して、旅行案内書にもでてこない寂れた街である。街にはホテルがない。私たちは身体障害者施施に泊まった。シベリア第二鉄道のことをロシアでは、バム(BAM)鉄道といっている。タイシェットから沿海州のソビエツカヤガバニ間の鉄道だが、バイカルとアムールを結ぶ意味でBAMの名称が付いた。
この街の北にはクユンビン油田、ユルブチェン油田、北東にはヴェルフチョン油田、タラカン油田があって、さらに試掘作業が大々的行われている。シベリアは未開発の天然資源の宝庫なのだが、スターリンのソ連時代には放置されてきた。プーチン大統領の資源外交によって、タイシェットが脚光を浴びてきた。
ロシアのの国営石油パイプライン会社であるトランスネフチ社は、シベリア原油をアジア太平洋市場に供給する計画を立てたが、当初はアンガルスクを起点とするパイプライン構想で、日本の経済協力を求めている。アンガルスクはバイカル湖の西、イルクーツクに近い。
しかしトランスネフチ社は、アンガルスクからタイシェットに起点を変更して、バイカル湖の北方152キロを通過して、ナホトカに至る4,188キロの新ルートを選び、ルート沿線の地方州政府とも合意したといわれる。この案をベースにして日露間の協議が行われているが、小泉政権下では進展がみられていない。
これに割って入ったのが中国。大慶油田の開発によって原油輸出国だった中国は、経済開放政策によって、自国の石油消費量が増大して、一気に原油輸入国に転落している。今ではなりふり構わずにアフリカ石油の獲得にまで触手を伸ばしている。
ロシアに対して膨大な投資が必要なパイプラインの建設で資金援助をちらつかせ、ロシア側も日本に提示しているタイシェットからナホトカまでの太平洋パイプライン(総投資額140-150億ドル)の一部から、中国に分岐する案を先行させる可能性が強くなった。いずれにせよ北辺のタイシェットは脚光を浴びることになった。
タイシェットの影の部分は、この地で多くの日本人シベリア抑留者が強制労働に駆り出され、シベリア抑留の歴史でもっとも悲劇の場所となったことにある。
その全貌はイルクーツク大学教授で歴史学博士・セルゲイ・イリイッチ・クズネツオフによって明らかにされている。ラーゲリ(収容所)での悲劇は、スターリン時代には堅く伏せられていて、一般のロシア人には知らされていなかった。
ゴルバチョフの時代になって多くの古文書保管所の資料が公開され、それを読んだクズネツオフ教授は強い衝撃を受けた。それから十五年の歳月をかけてイルクーツク州やブリヤート共和国の日本人墓地を巡り、さらに内務省の公開資料を読み解く作業が始まっている。

クズネツオフ教授は「スターリン体制がロシア国民や他国民に対して犯した犯罪行為は、とても容認できるものではない。それらについて、真実を語り続けることは絶対に必要なことである」と断言する。ロシアにもシベリアの良心ともいうべきクズネツオフ教授がいることを忘れてはならない。
タイシェットの日本人墓地は三十四カ所、シベリア第二鉄道の沿線に集中している。それだけの数のラーゲリが密集していたことになる。これに対して用意された病院は第三三七〇ラーゲリ病院一つ。しかも資格を持った医師がおらず、医薬品もなかった。
タイシェットだけでなくブラーツクからも病人が運ばれてきたが、公開された病院報告書によると日本人の多くが、病院に運ばれて数分後には死亡している。この結果、この地域では十二・七%(シベリア全土では八%)という高い死亡率を記録した。
シベリア第二鉄道の枕木の数だけ抑留者の死亡数がでたというのは、誇張でない。苛酷な扱いに対してタイシェット・ラーゲリでは、抑留者が抗議のビラ貼りをしたが、工作・秘密警察によって、反ソビエト行動・ファシスト反動行為として鎮圧されている。
シベリア第二鉄道沿いに粗末な日本人墓地があるが「友よ安らかに眠れ」の木柱が立っている。シベリア全土で約六万人の日本人抑留者が祖国の土を踏むことなく眠っている。
52 シベリア・タイシェットの光と影 古沢襄
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