14240 出羽国に逃れた黒沢尻五郎正任   古澤襄

岩手県北上市の旧名は黒沢尻町。この地にあった黒沢尻柵を安倍貞任の弟・黒沢尻五郎正任が守っていた。康平五年(1062)九月の陸奥話記に「安倍正任・僧良昭、出羽国に逃亡する」の記述がある。
これより先、七月に出羽国山北の俘囚主・清原氏が朝廷軍に加勢することを決し、一万余の軍勢で陸奥国に侵攻してきた。黒沢尻柵は清原軍に囲まれ落城したが、黒沢尻五郎正任の正室の阿波見と長男孝任は東の北上山脈を越えて三陸海岸に落ち延びた(豊間根家譜)。
豊間根家譜に次の記載がある。
<正室の阿波見と長男孝任は下女二人、従者ともども十七人で北東閉伊地陸中の海辺に落ち、この地の味兵邑に土着した。名は安倍から阿部、石至下、石峠、豊間根と変えて、朝廷軍の追及を逃れた。
居所も大槌、糠森と変え、山田線の豊間根駅は山間部に近い。豊間根村は町村合併で山田町豊間根となる。また黒沢尻五郎は厨川柵の落城後、秋田に逃れたが、数ヶ月後に捕まり伊予国に流されて、その地で没した。>
陸奥話記に出てくる僧良昭とは安倍宗任の伯父で最南端の小松柵を守っていたが、源頼義軍に攻められ逃亡して出羽国平鹿郡大鳥山(現在の横手市)に潜伏している。黒沢尻五郎正任も、この地の清原頼遠を頼った説がある。
清原氏は主戦派の武則・武貞系列と、安倍氏と姻戚関係を結ぶ光頼・頼遠系列があったといわれる。頼遠にかくまわれた黒沢尻五郎正任と僧良昭は、安倍宗任が投降したことを知って自首している。自首は康平六年(1063)五月。
安倍一族を滅ぼした功績で清原武則は従五位下・鎮守府将軍に任じられた。陸奥・出羽の俘囚主で鎮守府将軍に任じられた例はない。武則の子・武貞(たけさだ)は、安倍貞任の妹(藤原経清の妻)を娶った。妹には経清との間に為した清衡という連れ子がいた。
この清衡が安倍一族の宿敵・清原氏を滅ぼし、平泉の藤原三代の祖となるのだから”事実は小説よりも奇なり”。これは世の中の実際の出来事は、虚構である小説よりもかえって不思議であるというイギリスの詩人・バイロンの言葉である。
杜父魚文庫

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