「ポスト小泉の自民党総裁選に元官房長官福田康夫氏は立候補しない」と言ってきた渡部亮次郎のメイルマガジン「頂門の一針」に続いて2006年7月19日発売の「夕刊フジ」(20日付け)が「福田金欠 出馬なし」と「?」つきながら報じた。
これは自民党山崎拓派の幹部が18日夜に明らかにしたものだそうで「福田氏は絶対に出ない。総裁選に出るための資金が無いためだ」と言明したというのだ。
この幹部は「今は自民党総裁選に出馬しても、ニッカ、サントリーなどの言葉が飛び交った昔のように莫大な金がかかる事はない。ただ政権構想や選対本部を作ったり、支援する議員との会合など、やはりそれなりに金はかかる。福田氏については、親族が反対しているとの情報が駆け巡ったが、資金不足もその大きな理由ではないか」と述べている。
ニッカ、サントリーはウイスキーのことではない。1964〔昭和39〕年7月に3選を賭けた池田勇人〔総理〕とライバル佐藤栄作、藤山愛一郎の3氏による総裁争いの際、2人から現金を取る議員はニッカ、3人からとった人をサントリーと揶揄したもの。
誇り高い男福田康夫の不出馬が、たかだかゼニの都合といわれれば却って立候補、と推測する向きも出ようが、かねて私が言うように、現在の党内情勢からして、福田氏が立候補するとなれば、父の作った派閥〔森派〕を分裂させるほか、自民党内の媚中勢力や旧田中角栄残党の支持を余儀なくされる。
それは田中氏や大平正芳氏と終生、命を賭けて闘った父の怨念に砂を掛けることになるからである。晩年を秘書官や子として見続けた康夫氏としては、自分の尊厳を貶す行為となる以上、立候補するわけには行かないと見るのである。
山崎拓氏、谷垣禎一財務相は、靖国問題を交渉に繰り返しで解決して中国との協力関係を築くことがポスト小泉の大きな外交課題であり、それゆえに靖国問題を総裁選の争点と位置づけようとしているが、これほど物事の本質を外れた見方をするとは、阿呆としか言いようがない。
1949(昭和24)年10月1日、毛沢東主席による中華人民共和国の成立宣言から57年。鄧(とう)小平による改革開放による経済の飛躍的発展を受けて、中国共産党政権は大きな矛盾の存在を忘れたフリをしながら、完全な覇権主義に陥っているのだ。
アジアに盟主は2つは不要との立場から日本の属国化を目指し、靖国非難は戦術ではなく戦略の一環である以上、日本がどう出ても解決は不能なのである。日本の国連常任理事国入りを許さず、北朝鮮制裁決議案には同調しようともしなかったのもこのためだ。
中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年―1978年)と鄧小平時代(1978年―)の2つの時代に分類される。
<毛沢東時代の人民共和国は社会の社会主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで大躍進政策を行なったが多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。
その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。
文革は毛沢東の死と共に終結した。その後、一旦華国鋒が毛沢東の後を継いだが、すぐに鄧(とう)小平が実権を握った。
鄧(とう)小平時代の人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中国の近代化を進めた。〔4つの近代化政策〕
その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長した。しかし、今日では急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。
また、中国政府は、共産党の一党独裁体制を維持する上で脅威となる動きや中国の分裂を促すような動きに対しては強硬な姿勢をとり続けており、1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などで具体化されている。>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
わたしは図らずも1972年9月の田中角栄総理の訪中にNHK記者として同行、6年後の日中平和友好条の締結に当たっては園田直外相の秘書官として、中国の本音の変化を見つづけてきた。
鄧(とう)小平の死後、江沢民は嘗て先輩周恩来らがソビエト非難に使用した覇権主義を今度は自ら称揚し、とりあえずアジアに覇権を唱えるべく、当面のライバルたる日本非難政策の実施に着手した。
それでも日本は、政治家も外務省も国民もその変化に気付くことなく、何とかの一つ覚えのように「日中友好」を唱え続けた。
その時、中国は嘗て田中総理一行に与えた「熱烈歓迎」をとっくの昔に捨て去っていた。中国共産党としてはとりあえずアジアの盟主となるためには、国力のある日本の世論の分断を図り、「友好」に迷っている自民党内媚中勢力を自家薬籠中の物にすべく「アジアの平和」という撒き餌をしているだけなのである。
なるほど「平和」ほど心地よい響きはない。しかしそれが中国の大野望達成のための撒き餌に過ぎないと気付かずに食らいつく事は、正に売国的行為以外のなにものでもないのである。
<小泉首相の在任中、中国では、国家主席の交代があったにもかかわらず、胡錦涛主席の日本訪問は実現していない。この事態を中国では「政冷経熱」と呼んでいる。
また、両国政府は尖閣諸島(中国名釣魚島)を巡っても領土紛争を抱えている。近年、中国政府が日本のEEZ(排他的経済水域)内において、調査船を侵入させ資源調査を行っているとされ、2004年には、日本の領海を中国海軍の潜水艦が侵犯する事件が発生し、日本と日本国内に基地を多く所有しているアメリカ両国政府に緊張が高まっている。
領海侵犯に関して、中国政府は遺憾の意を表明した。中国の姿勢については、謝罪していないと批判されることがある。
また、2004年には東シナ海の日中中間線ぎりぎりの中国側で、中国政府により海底油田の開発が進められていることが発覚した。日本政府は日本側の資源にも地下でつながっている可能性を指摘し、中断を求めたが、中国は応じず、2005年には生産が始まった。>(同)
媚中派はこうした問題のすべてが話し合いで解決のはかれるものと勘違いしている。しかし、これらすべてが中国の戦略に発している以上、話し合いに応ずるわけがなく、屈服するかしないか、二つに一つしかないのだ。
山崎拓氏は反小泉色を鮮明にすることが、ポスト小泉の政局の主導権を握ることになるとの打算から、靖国参拝に関連した追悼施設建設を前面に出してきた。谷垣派は加藤紘一チャイナスクールの影響でおずおずと近隣国・地域との異常な関係を改める、といっている。
そこへ行くと一番の媚中派と見ていた二階俊博経済産業相が、この問題から逃げたのは、安倍政権の成立を見越した打算であり、久々のズルシャモンを実見する思いである。古賀元幹事長と類似している。
最後に田中角栄の尾を引きずる津島派は8月10日発表予定の政策提言でアジア外交に触れるという。福田康夫氏が頼らざるを得ないグループがこうなっては、福田氏が二の足を踏むのは当然だろう。ゼニじゃない。(2006・07・19)
53 媚中外交は売国行為 渡部亮次郎
未分類
コメント