知事選というのは国政選挙と違って”県民党”が錦の御旗となる。自民、民主二大政党の対決となりにくい側面がある。もう一ついえるのは、地方の中小都市では女性候補が必ずしも有利とはいえない。有権者の半数以上が女性なのだから、もっと女性首長が現れても良さそうだが、そうはなっていない。
ところが東京や大阪のような大都市圏では女性の進出がめざましい。福島知事選では女性候補が十万票の大差で敗れたが、同じ日に東京・新宿区の区長選挙では女性区長が圧勝している。これは一人の女性候補の力だけではないと考える。その女性を押し上げる草の根の婦人活動が日頃から活発だからである。福島の女性候補は東京での弁護士活動歴が長く、二十年ぶりに郷里で立ったのだが、県内の知名度が低かった。
私が住む守谷市は”守谷都民”ともいわれる首都圏なのだが、女性の活動が活発な地域である。市の女性セミナーで「日本人のルーツとバイカル湖」と題する講演をしたことがあるが、出席者の知的レベルの高さに一驚した。この手の女性活動は”おしゃもじ”を立てる程度のものであろうと思っていただけに、地域の文化、歴史、伝統に該博な知識を持ち、関心を示す質問にタジタジとなった。
守谷市のみずき野地区が私の住むところだが、二千戸・人口六千人で様々な文化活動が行われている。若い奥さん連中は大学出が多い。小学校のPTA集会があると、この若い奥さん連中が先生に鋭い質問を放つので、先生たちも応答に苦労しているという。
戦後、強くなったのはナイロンのストッキングと女性といわれたものだが、三十九歳の時に富山県の県女性講座で五回ほど講師をやったことがあった。富山県は戦前の米騒動の発祥の地で、その発端は米価の高騰に怒った女性たちであった。少なからず”おしゃもじ”に用心して県女性講座に臨んだのだが、女性たちの質問が地域の文化、歴史、伝統に関するものが多かった。東京から初めて北陸の地にきた私の方が逆に教えられた。
富山の女性には駆け出し記者時代の想い出がある。仙台が初任地だったが、そこに初めて毎日新聞の女性記者がきた。高岡高校から早稲田大学の第一政経学部を卒業して毎日新聞に入社した才媛。鎌田黎子といった。一緒にサツ(警察)回りをしたが、鼻の下が長い警察官は鎌田黎子に特ダネを提供して、いつも出し抜かれた苦い経験がある。
一年で鎌田黎子は私たちの前から姿を消した、フルブライトの留学生試験に合格して海を渡ったのである。帰国して大森実外報部長が率いる外報部の紅一点となったと知った頃には、私も政治部の記者となって夜討ち朝駆けに明け暮れていた。もう半世紀も昔の話である。
それから十五年後に鎌田黎子の出身地に赴任したのだが、富山県の女性講座で、その想い出話をした。驚いたことに高岡高校の同級生たちが、それを聞いて広島にいた鎌田黎子に連絡してくれた。米国人の医者と結婚した彼女はロバートソン・黎子になっていたが、富山市で十五年ぶりに再会した。
「何をしているの」と聞いたら「毎日、皿を洗っているのよ」と才媛らしかぬ事をいう。正直にいって家庭に閉じこもるのは、もったいないと思ったが、数年後に東京本社に戻った私のところに息子を連れて訪ねてきてくれた。
この息子はハーバード大学と東京大学に合格したのだが、ハーバード大学は東京大学の履修単位を認めるのに、東京大学はハーバード大学の履修単位を認めないという。「日本の大学制度は国際性がない」と私は怒られた。それにしても難関であるハーバード大学と東京大学に同時合格したとは、さすがに鎌田黎子の血筋だとただただ感心するばかりであった。
ことほど左様に女性の地位と力は、確実に向上している。男どももボヤボヤしていたら、社会的にも女性の尻の下に敷かれる時代を迎えようとしている。地方の首長に女性が大挙進出する時代は、そう先のことではない気がしてならない。
274 女性の時代は近い気がする 古沢襄
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