2007年7月16日(国民の休日=海の日)に起きた中越沖地震の東京電力柏崎刈羽原子力発電所の被害をめぐる報道を見るにつけ、つくづく思う。「駄目だこりゃ」。
東京電力の広報が間違っている。被害をなるべく小さく見せて、運転再開を出来るだけ早くしようと考えるものだから、結果、被害を小出しにする。
元々人々は原子力発電と原子爆弾の正確な区別を知らないから、マスコミも原発=悪と決め付けて、隙あらば煽り、攻撃し、この地上から消したいと考えている。日本みたいに狭い国土では原子力発電は必要不可欠なんて考えない。
同じ社会部記者でも環境省担当記者は内心、Co2を削減して京都議定書を遵守するには原子力発電は認めざるを得ないと考えている。だが、今回の地震被害に対して「安全は確保されている」とは絶対書かない。『社是』が「原発反対」だからである。
新潟県中越沖地震を報ずる第1報(朝日新聞 7月17日)を見ると、『新潟・長野 震度6強 M6・8 300棟全壊、1万人非難』に続いて「柏崎刈羽原発 放射能含む水漏れ 海に流出 揺れは国内最大」と出ている。
その後27日になって放射能に汚染された水が海に流出したり、空中に放射能が漏れたなどが「次々に」分かって報道された。
たとえば隣県で同じように原発を抱える福井県の福井新聞は特別取材班を現地に派遣し「原発の街恐怖連鎖 放射性物質流出に怒り」という恐怖を「煽る」様な記事を大々的に掲載した。
また8月7日付の朝日新聞は「複数の作業員が放射能水を被る」と4段見出しで報じたが、ウソだった。入院した職員は地震で倒れたキャビネットの下敷きになって怪我したためだった。
更に漏れた放射能についても政府の原子力安全・保安院が7月27日に都内の日本外国特派員協会で説明したところでは「東京―ニューヨークを飛行機で往復する間に宇宙から浴びる放射線の1,000万~100万分の1の量」と説明した。
東京―NY往復で宇宙から浴びる放射能は0・2ミリシーベルト。今回漏れ出したのは、海水に10億分の2ミリシーベルト、大気に1,000万分の2ミリシーベルトだと原子力安全・保安院は説明。要するに桁違いに低い値で、人や環境には影響が全く無いのだ。
それなのに外務省国際原子力協力室が把握しているところでは、アフリカや南米はいざ知らず欧州でも「チェルノブイリみたいな事が日本で起きている」とか「日本政府は隠している」といった報道が流れた。
7月28日の朝日の記事によればロイター・ジャパンの女性記者は「欧州では地震が無いため、イメージしにくい。チェルノブイリ事故で神経質になった国もある」という。要するに地震の被害という事自体が理解できなく、原子力発電後進国とでも思っているのだろう。
それが日本自身、相当悪どい流言飛語が週刊誌(週刊新潮8月2日号)の特集となって出るくらいに飛んだ。
「柏崎沖で獲れた魚はしばらく食べない方がいい」
「本当は漏れた放射能はもっと多くて、それが風向きの関係で9月ごろには長岡市あたりが汚染されるらしい」
「今後5年は海水浴ができない」。
品格を疑いたくなる話もあった。
「刈羽村の配給食が豪華なのは、東電に予てから協力的だからだ。これは差別だ」。弁当の内容に違いは無かったガ、ハラが減ったら誰かを怨まないではいられない。
「ボランティアを装った空き巣団が来ている」警察には被害届は無いのに・・・ここらで止めよう。
日本に原子の火の点った50年前を紐解くまでも無く、電力会社は政府の厳しい監督の下、「神話」といわれるまで「安全」に心血を注いできたはずだ。
しかも地震国の上に原子力発電所を運転するのだから、周辺住民はもちろん国民にも莫大な宣伝費を使って安全をPRしてきた。
しかし、原子爆弾と原子力発電の違いを説明できる人は民間にいるだろうか。デシベルだのシーベルトの話なんか分からない。だからいくら安全を訴えても、もうもうと上がる黒煙を見れば不安に震えるのは当然だ。
しかも、如何に安全だとPRしても1999年にはちゃんと東海村で臨海事故を起こし犠牲者も出たのだから、「神話化」するほどの安全も実は発電会社は何かを隠している、と勘繰りたくなるのは当然だ。
加えて新聞、テレビ、雑誌のいわゆるマスコミは原発を悪者と決め付けて報道する。その方が売れると判断している事もあるらしい。無知でも無恥でも、世論に迎合しなければ喰っていけないのがマスコミだから、電力会社が束になっても勝てない。
「想像を絶する被害が出ているはずだ。調べが進むにつれて予想を超える被害が出てくるだろう。しかし、仮令、放射能が漏洩していたとしても、人体や環境には影響の出るはずは無い」と冒頭に社長が啖呵を切ればよかった。あれほど安全をPRしてきたのだから。
それを運転再開の遅ればかりを案ずるものだから、被害の発表を「小出し」にする結果となった。わからないでもないが、小出しにされれば「もっと隠しているに違い無い」となる。世論が疑心暗鬼となったら手がつけられない。
そうした事を弁えて今回、東電はことの対処に当っているだろうか。
小出し=疑心暗鬼の方程式を飲み込んで当っているとは思えない。広報部は能力を発揮していない。運転再開遅延の責任回避だけを考えている。記者の心理に通じた広報を研究すべきだ。問題点は数々あるが、今回はこれでひとまず。2007・08・09
868 原発危険報道のからくり 渡部亮次郎
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