1328 標準語は使うなよ 古沢襄

新米記者になって一ヶ月たった頃だったろうか。杜の都・仙台のサツ回りをしていたが、警察の連中がどうもよそよそしい。何か敬遠されている気がした。仙台は私の父が勉学した旧制第二高等学校があった土地。母方の叔父・村田潔氏が東北大学の美学の教授をしていた。父の従兄・為田大五郎氏が地元紙・河北新報の社会部長だった。
だから最初の赴任地が仙台といわれて”第二の故郷”にいくつもりで喜び勇んでやってきた。だが第二の故郷は私を受け入れてくれない・・・そんな悶々たる気持ちに駆られていた。一夜、仙台のおでん屋で先輩である部長に私の悩みを打ち明けた。
黙って聞いている部長は「明日の夜に仙台北署のデカ部屋に行って酒を飲んでこい」という。地元育ちの部長は「ナベちゃん」といわれたサツ回りの敏腕記者だったことは後から知った。
まだ独身だったから、どこで寝ようと構わない。部長が伝票を切って持たせてくれた二級酒を二本ぶらさげてデカ部屋を訪れた。部長から電話をしてくれたのであろう。泊まりのデカ二人が待っていた。
茶碗で冷や酒を飲んでいる中に「朝飯はどうしている?」と口数が少ないデカ氏がいう。部屋代3000円の安アパートが寝ぐらだったから、朝飯抜きの一ヶ月だった。「北署の前に差し入れ弁当屋があるから、明日は一緒に行こう」と言ってくれた。
しばらく話し込んでいたら「記者さんは東京弁だな。郷に入ったら郷の言葉を覚えなくちゃー」と笑った。早口の東京弁は東北人にとって聞きづらいという。
左様・・・私は東京の新宿で生まれて、市ヶ谷に近い牛込で少年時代を過ごした。夏休みに母の実家がある信州には行くが、それ以外に東京を離れたことがない”東京育ち”である。厳密にいえば東京弁ではない。東京弁は下町言葉だから、私のは標準語というべきであろう。下町言葉は「ヒ」と「シ」が混在するが、標準語は「ヒ」は「ヒ」、「シ」は「シ」と正確に喋れる。
一晩、デカ部屋で酒を飲んで、朝、差し入れ弁当屋で炊きたての飯と味噌汁。漬け物の粗末な食事だったが、仙台にきて初めて朝飯だった。差し入れ弁当というから泊まりの警察官相手の食堂だと思ったら、留置人相手の弁当だという。
その夜、また部長のおごりで酒を飲んだ。「君は標準語を使うなよ。東北弁の真似をしろ。ゆっくり喋るのだ。必要なこと以外は喋るな。聞き上手になれ」と畳みかけるように説教された。シュンとする私が気の毒になったのか、若い女性がいる仙台銀座のサロン風のバアーに連れていってくれた。
二十五歳のヒヨッコ記者だったが、若いホステスにもてた。よく聞いていると確かに喋るテンポが東京弁にくらべて遅い。東北弁も艶やかで心地よい。それ以来、北署の前の差し入れ弁当屋と「ヒユッテ」という名のサロン風のバーの常連になった。
この経験は習い性となった。北陸で五年、九州の博多で三年過ごしたが、北陸言葉や博多弁はすぐ覚えた。今の私は標準語とはほど遠い。日本各地の地方弁がチャンポンになっている。新鮮な魚の刺身にありつくと「キトキトだな!」とつい出てくる。相手の話に相づちを打つ時は「んだ!んだ」を連発する。
新聞大会を鹿児島でやった時には、同宿の青森の編集局長と鹿児島の編集局長の論争で、私が通訳になった。二人の論争を聞きながら、ドイツ語とフランス語じゃーないかと可笑しく思ったものである。
喋りは明らかにワン・テンポ遅れている。だから黒柳徹子さんの早口を聞くと頭痛がしてくる。歩くテンポが遅くなっているのは老化からではない。たまに東京の街を歩くと疲労を覚える。東京生まれ、東京育ちの田舎者で十分満足している。
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