3450 親指のように太い蕨 渡部亮次郎

同じ秋田県生まれとはいえ、私は山育ちでは無いから春を告げる山菜には全く弱い。ちなみに千昌夫歌う「北国の春」(1977年)で「季節が都会ではわからないだろうと、届いたおふくろの小さな包み」の中身は山菜である(作詞者:いで はく)。
私が生まれ育ったところは、いまでは干拓(埋め立てではなく、水を抜いて干し上げ、耕地にする)で姿を「大潟村」に変えた八郎潟。その沿岸の田圃の真ん中。春になって山菜の採れる山までは何キロもあった。
辿りつくところは五城目町(ごじょうのめまち)の朝市。この町は歌手小柳ルミ子の母親の出身地として知られる。町外れの道路端で朝市が開かれ、おふくろは春には山菜を買ってきたが「蕨(わらび)」は無かった。アク抜きが面倒だったからだろう。いつもあるのは「みず」だった。
そういうわけで秋田で蕨を食べたのは仙北市がまだ角館町と田沢湖町だった頃、田沢湖町の温泉宿でだった。生まれて初めて食べた。
「大昔、冷害で米の収穫が皆無だった時、山の農家では蕨の根を掘って叩き、澱粉を取り出して食べたものだ」と読んだことがあったので、噛むと幽かな粘りが出たのは澱粉の所為だろうと思った。
意外にも東京・向島(むこうじま)育ちの家人が俄然、蕨に病みつきになった。それで田沢湖の小林清二さんが、毎年、季節になると立派な蕨をどっさり送ってきてくださる。これが届かないと我々には春が来ない。
なぜかと言うと、小林さんの蕨はオーバーに言えば親指ぐらいの太さなのだ。田沢湖の周辺を車で走ると5月か6月にはそこらに蕨が沢山自生している。だが太さは割り箸の片方ぐらい、粘りなんて感じられない。東京のデパートで売っているのも、こんなものだ。
蕨は太くて軟らかいのに限る。特に太ければ太いほど、ヴォリューム感が堪らない。だから小林さんのは日本一の蕨である。
小林さんのは深山に入った秘密の箇所に毎年生えてくるそうだ。秘密は親友にも家族にもまだ教えてない。毎年、そこへ行ってあの太い蕨を採り、東京へ送ってくださるのだそうで、今年も5月下旬に秋田の春を東京で堪能した。家人は鰹節をたっぷりまぶすが、私はただ醤油をかけた方が田舎の味がする。
ここまで書いて来たら突然、若い頃居た盛岡市玉山区の民謡「外山(そとやま)節」が突然、口を突いて出た。
「わたしゃ外山の 日蔭のわらび(ハイハイ)
誰も折らぬで ほだとなる
コラサーノサンサ
コラサーノサンサ
わしと行かねか あの山蔭さ
駒コ育てる 萩刈りに
わたしゃ外山の 野に咲く桔梗(ききょう)
折らば折らんせ 今のうち
外山育ちでも 駒コに劣る
駒コ千両で 買われゆく
外山街道に 笠松名所
名所越えれば 行在所
日の戸越えれば からかさ松よ
外山牧場の お関所よ
わらび折り~ 貯めたる銭コ
駒コ買うとて 皆つかった
あねこ行かねか あの山越えて
わしと二人で わらびとり」
言い伝えによれば、明治時代に盛岡市外山につくられた御料牧場の作業員たちが唄った「草刈唄」がその起源。牧場の閉鎖とともに一時忘れ去られたが、昭和初期に2種類の元唄が発掘され全国に広がった。
レコードで「現代版外山節」が普及したため、「正調」はあまり知られていない。田沢湖の蕨の話が盛岡に飛んで終わった。人間の頭とは可笑しな動き方をするものだ。
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