”朝令暮改”が得意技の鳩山由紀夫氏だが、日本の首相になる可能性があるから、野党の代表ならまだしも、軽率な発言は慎むべきである。それにしても思いつきで発言がコロコロ変わる。ウイキペデイアが鳩山発言の変化語録を組んでいる。
政局
2007年11月8日、「次の衆院選で政権を取ることがかなわなかったら、自民党との大連立の話が復活する可能性は出てくる。」と述べ、次期衆院選に敗北した場合にも民主党が政権に参加する可能性があることを表明した。
更に、11月13日の記者会見では、「次期衆院選で民主党が第一党になった場合、自民党の一部を取り込んだ形で連立政権を組む」と表明し、総選挙に勝利した場合に自民党と連立することを明らかにした。
2007年12月14日、大阪府知事選について、民主党が阪大大学院工学研究科教授の熊谷貞俊の擁立を決定したことに関連して、「一番反対していた奥さまが“あの相手にだけは大阪を任せられない。ここで出なければ男じゃない”と最後は強く推したと聞いている」と述べた。しかし、当の夫人は「そんなこと言ってません。めっそうもない」と否定している。
2008年1月13日、小沢代表が11日の衆議院本会議を退席し、補給支援特措法の採決を棄権したことに対し、当初「小沢氏は大阪府知事選の応援に向かった。(再可決という)暴挙に対して、公務として大阪府民に訴えかけている」と釈明したが、当の小沢代表は大阪府知事選では再可決について全く触れなかった。
また、「国会議員としての責務を果たすべきだった」と批判したが、当の小沢代表には、「国民にも民主党にも大事ではない」と斬って捨てられた形になっている。
大阪府知事選後に、推薦候補が敗北した原因の一つとして小沢代表の欠席を指摘するも、小沢代表からは、「幹事長が何を言ったか知らないが、府知事選に影響したとは思っていない」と反論され、党首脳部で意思疎通が欠如しているとの印象を与えた。
2008年2月10日、民主党非主流派の仙谷由人、枝野幸男、野田佳彦、蓮舫、小沢鋭仁、土肥隆一や自民党の山崎拓、加藤紘一ら反小沢色の強い議員と訪韓した。訪韓前の8日、(反小沢との批判に対し)「全く気にすることのない行動だ」と否定するとともに、「小沢代表のもとで政権交代を担う」と述べたが、9月の代表選までに政権交代できなかった場合、「代表選では選挙を行って次のステップに進むのも必要なプロセスだと考えている」と反小沢の対抗馬として出馬する可能性があることを示唆した。
2008年8月26日、ラジオ番組で小沢代表の無投票再選を評し「小沢代表の顔を見たら怖い、相手になった場合、何をされるか分からないと感じてしまう方が多いかもしれない」と述べた。
2009年3月3日、小沢一郎の公設秘書の逮捕をうけて「小沢氏は、すべてのお金の出し入れを明らかにしている。問題はない。陰謀だ」と政府、与党、検察サイドによる陰謀であるとした。3月8日に福島で開催された集会でも(支出を原則公開していることから)「小沢代表は最もクリーンな政治家」と強調した。
2009年3月29日、小沢一郎の進退に関連し「小沢氏の下での幹事長だ。殉じるときは殉じる」と述べ、小沢辞任の場合は、自らも連帯責任を取って幹事長を退く考えを示した。また、後任として、自らが代表に就く可能性については「そんなふうにはいかない」と否定した。が、同年五月に代表に就任している。
2009年6月6日、日本郵政の人事問題に関連して、実弟の鳩山邦夫総務相(当時)に対して「民主党に協力して加わるなら、早く閣僚を辞めて新しい道を進めたらいかがか」と述べ、自民党離党と民主党への合流を呼びかけた。
鳩山邦夫が、この問題で、事実上更迭され、離党を含めた去就が注目されるようになった6月11日、「西南戦争に決起し、政府に反旗を翻した時の西郷隆盛の言葉を引用した。弟はその覚悟を持っていると当然理解している」と述べ理解を示した一方で、連携について「私どもは政権交代を目指している。念頭に置いてはいない」と否定した。
時局から主張が変化した政策
小泉改革
(転向前)2001年6月の小泉純一郎内閣総理大臣(当時)との党首討論の場において「私は民主党代表だが、首相が構造改革を断行する気持ちで努力することを評価したい」と発言し、更に「ヤジを飛ばしている方々は首相の改革路線の足を引っ張っている抵抗勢力なんですよ。私たちは背中を押して差し上げようとしている改革勢力。志半ばで倒れたら民主党があなたの骨を拾ってあげます!」とも述べた。
(転向後)2009年5月15日、民主党代表選挙の前日に鳩山は対立候補の岡田克也に対し「岡田さんが代表の時、郵政民営化の戦い(2005年の郵政選挙)で民主党は敗れ去ったが、結果として地域が崩壊の憂き目にあっている。新自由主義の総括をお願いしたい」と小泉構造改革の総括を求めた。
消費税
(転向前)2005年12月、TBS系の討論番組に出演したさい、消費税の税率に言及し「7%。年金目的で理解される。それでは足りず10%いく時期もある」と答えた。
(転向前)2007年2月9日、記者会見で「マニフェストを作成する中で年金と消費税の議論を行うことが大事だ」と消費税増税に言及した。しかし、7月6日安倍晋三首相が前日夜のテレビ番組で、秋以降に消費税率引き上げも含めた抜本的税制改革の検討に入る考えを示したことが報じられると、「選挙が終われば消費税を上げるぞということが見え隠れしている」と批判した。
(転向後)2009年5月、自身が出馬した党代表選挙では「(消費税率を)上げる必要がないことを試算として出しており、議論をすれば、経済が厳しい時に消費税の議論をするのか、という話になる」と消費税率の議論を封印した。これに対し、自民党の与謝野馨は「岡田さんは逃げない、鳩山さんは逃げる。これが私の率直な印象」と述べた。
自衛隊の海外派遣
(転向前)2000年12月7日、民主党護憲派の「21世紀の民主党を考える会」の会合に講師として招かれ、「平和執行型の国連平和維持活動(PKO)にも日本は参加しなければならない。そのとき、憲法が障害になるなら変えればいい」と述べた。
この発言がきっかけで当時の横路孝弘副代表が代表辞任を求める事態となり、その後、鳩山氏が「私の発言でご心配をかけた。 おわび申し上げる」と陳謝したうえで「憲法にかかわる安全保障の議論は党憲法調査会の推移を見守りたい」と述べた。
(転向前)2008年10月17日アフリカ・ソマリア沖の海賊対策としての自衛隊の派遣について、衆院テロ防止特別委員会において、民主党の長島昭久議員が、「海上保安庁の巡視艇がソマリア沖の海賊対策に当たるのは困難」という趣旨の政府答弁を引き出したうえで、「自衛隊艦艇のエスコート(護衛)は海賊対策にかなり効果がある」と提案した事を受けて、翌18日の会見で「政権交代の暁に、積極的、前向きに検討する」と明言した。
(転向後)2009年1月23日、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策として、海上自衛隊護衛艦を派遣するという政府方針に対して、「なぜ海上保安庁じゃだめなのか、なぜ自衛隊なのかというところが、判然としていない」「3党が協力して麻生政権を追い込むため、海賊対策でもできる限り一致するように努力したい」と発言した。
北朝鮮への先制攻撃
(転向前)1999年2月26日、千葉市内での講演で「あと数分とか数秒で日本を攻撃するミサイルが発射されるという状況が自明のとき、撃たれるままで手をこまねいていなければならないかというと、必ずしも憲法ではそうではない。自衛のために行動することは禁止されていないと理解している」と憲法上では先制攻撃が許される場合もありうるとの見方を示している。
(転向後)2009年5月27日、新聞記者との会見で「相手の基地の先行的な、こちらでたたきのめしていいなんていう議論も、まさに(核武装議論と)同じように、私は慎むべき議論だと、そのように考えております。」と見解を示した。
核武装議論
(転向前)1999年10月27日、東京都内で行われた講演で、先に核武装をめぐる発言で辞任した西村眞悟元防衛政務次官の問題に絡んで「核武装してもいいかどうかを国会で検討したらどうかと言った瞬間にクビを切られるとなると、国会で核をもつべきかどうかなんて議論がなされなくなる。議題に乗せることすらしてはいけないという発想もいかがなものか」と発言した。
(転向後)2006年、核保有の議論の容認発言を行った麻生外相に対して「議論すること自体が(国際社会に)間違ったメッセージを与える。日本の外相がこういう発言をしたことに心から怒りを持つ」と発言し、安倍首相に麻生の外相罷免を要求した。
(転向後)2006年10月17日自民党政務調査会長だった中川昭一が非核三原則を見直すかどうか議論する必要があるとの発言を行ったことに対しても、「自民党の中川政務調査会長の非核3原則をめぐる発言はどうしても看過できない。北朝鮮が核を持つなら日本も持ってやり返すんだというような発想は断じてあるまじきことだ。議論も封印しなければならない」と発言した。
2004年9月15日、アパグループ代表の元谷外志雄邸での「日本を語るワインの会」に夫人を連れて参加。同席した田母神俊雄、大島信三と元谷夫妻の6人で核武装に関する議論などを行っていた。鳩山と同席者達は邸宅内外で記念写真を撮影している。
鳩山はこの件に関して事実関係を認めつつも、「失礼ながら余りにも私の思想とかけ離れた話をされていたので、途中でご無礼いたしたことを思い出します」と自身の2008年11月5日付けのメールマガジンで述べている。
また、「田母神航空幕僚長が、かつて日本が犯してしまった侵略行為と植民地支配を正当化する論文を発表して、更迭されたのは当然として、定年退職にしてしまったことは許せません。退職金は6千万円とも言われています。懲戒処分を受けるべき者が、6千万円貰って退職するとは言語道断です。このような処理をした政府の責任を厳しく追及せねばなりません」と田母神を批判している。
田母神は鳩山の批判に対して「ウソを言うのもたいがいにしてもらいたい。鳩山はあの日、最後まで会合に出席して楽しんでいた。彼は私や元谷代表らと一緒に、仲良く記念撮影までしている。自分がつらい立場になれば、平気で人を裏切る。そういう人間は、今後も何かあったときに必ず人を裏切ることでしょう。鳩山由紀夫は、まったく信用ならない人物です」と述べている。
政権交代後の官僚人事
(転向前)2009年2月9日に行われた鳩山の講演で、政権交代が行われたときの官僚の人事について「(各省庁の)局長クラス以上には辞表を提出していただき、民主党が考えている政策を遂行してくれるかどうかを確かめたい」と述べた。
(転向後)2009年6月30日、党本部で記者団の質問に答え、「法的には難しい話だ。辞表という形に必ずしもならない」と以前の発言を訂正した。
その他
豊富な資金力や祖父以来の人脈を背景にして、1990年代の政界再編期に一貫して中心にあった。民主党の結党に際しては多くの資金を提供したとされる。また小泉内閣誕生から政権初期にかけて民主党代表を務めていたため、小泉の自民党内牽制カードとして、鳩山民主党との連携が噂された。
政権交代を実現する会(鳩山グループ)を率いる。政策的な結びつきよりも鳩山の資金力を頼りにする議員が多く、結束力は今一つである。結党以来最大派閥だったが、郵政選挙大敗によって多くの所属議員が落選し、参院選の大勝で絶対的な発言力を手にした小沢代表のグループに、新人議員が多く加入したため、最大派閥の座を同グループに明け渡した。
鳩山家の伝統に漏れず東大に進学したが、「これからはエンジニアリングの時代」と法学部でなく工学部を選んだ。当初から政治家志望で法学部を選んだ弟・邦夫のほうが成績は良く、自身は1年前の模試で「合格率5%」と言われ、腹を立てて2度と受けなかったという(報知新聞2月9日「有名人が語る受験必勝法」)。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では自民党新人の岩倉博文に追い上げられ当時、党代表でありながら当確も当選も小選挙区で300番目(最終)に打たれた。(重複立候補していたが北海道で民主党の比例単独候補は上位に中沢健次、金田誠一、三井辨雄、鈴木康司と4人もいて当選者数は3人、鳩山自身は5位。小選挙区敗北は即ち落選と党規約「党代表は党所属国会議員の中から選出する」ので同辞任を示唆していた。岩倉は比例復活果たし初当選)
2004年の年金未納問題の際に8年9か月間未納であったことが発覚している。
兄弟そろっての愛犬家であり、蝶好きであることでも知られているが、蝶研究の第1人者を自認している弟の邦夫によると、兄はもっぱら「夜の蝶ばかり追いかけているカメレオン」とのことである(2000年総選挙における演説にて)。これには相手に応じて意見を七色に変えるという意味合いも込められている。
自宅や東京・音羽の鳩山会館で大規模な社交パーティを開くなど政界きっての資産家として有名だが、本人は「庶民的な感覚を持ち合わせる。」と自称している。2006年04月16日、衆院千葉7区補選で太田和美候補(当時)の選挙応援の際には、同候補の「負け組ゼロへ」をキャッチコピーに選挙カーにはほとんど乗らず、他の民主党幹部と共に自転車で選挙区内を回り地元出身をアピールする戦術に同調、同選挙のために太田陣営が6800円で購入した「新車」による自転車遊説行脚を敢行し「私も自転車に乗れるんです」と庶民感覚をアピールしている。尚、本人は自転車に乗るのは「2、3年ぶり」とも発言している[85]。現在でも、地方に遊説する際は時折自転車に乗っているようである。
空間プロデューサー平山誠のプロデュースによる居酒屋「トモト」を新橋で経営。しかし平山の新党日本事務総長(現総務局長)就任の煽りを受け、2005年末閉店。
幸夫人との結婚について「(他)人の嫁さんで、子供はいませんでしたけどね、日本料理屋で働いていたんです。」と幸夫人が自身と不倫の末に結婚したことを認め「普通の人は未婚の女性の中から相手を選びますね。私は全ての女性の中から選んでいるんですよね」と自身の独自の倫理観を披露した。
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