5805 都会とは救急車音 渡部亮次郎

東北の片隅、秋田県の旧八郎潟沿岸育ちの身が大都会の東京に住まいするようになって56年になる。だから故郷は秋田と答えたいが、実家を継いだ妹婿が土建業を倒産して実家を人手に渡したので、私は帰郷できる実家を失ってしまった。
いまや旧深川の一隅の9階が「終の棲家」と覚悟している。高速道路が200m北を走っているが、窓を閉めると、今どきのサッシの優れていること、ほとんど騒音は聞えない。
だが換気の為、窓をちょっと開けると、救急車の音が凄まじい。耳をつんざく。あの大都会、アメリカのニューヨークでも昼夜を分かたず、救急車と消防車が走るが、わが深川がそれに匹敵するとは。
近くに都立墨東病院と私立の「あそか」総合病院があるからだろう。考えてみると、幼少時、秋田の田舎では救急車などなかった。総合病院もなかった。だから外から聞える音は金輪の馬車の音ぐらい。集落にトラックの来ることなどは皆無だった。のどかだった。
だから救急車こそは都会を象徴する騒音なのだ。この話をヴェトナムの首都ハノイ在住のPCの師匠にメールしたら返事があった。
<日本の救急車の制度を羨ましく思います。ここでは一応市のものがありますが、どんな重症者でも自力か周りが乗せるまでを受け持たなくてはならない。
アパートなんか、担架で階上まで来てくれません。だから、外国人が利用するクリニックなんかは、専用の救急車を持っています。そこはちゃんと階上まで来てくれる。
市のものも、庶民には高価なので、あまり利用しない。周りの人間が協力し合って運ぶ、が原則だと思います。だから常にサイレンが鳴るなんてこともないし、外で倒れている誰かのために、他人が救急車を呼ぶこともありません。>凄い。
敗戦直後の田舎を思い出した。田植え時、ハタハタ鮓の中毒にあったった人々を病院に連れてゆくのに、クルマなど無いじだいだから、自宅の雨戸を外し、それに載せて4人で担いで行ったっけ。
当時は町長の車がなかった。医者も乗っているのはオートバイだった。日本がマイカー時代を迎えるのは敗戦20年後の昭和40(1965)年ごろである。
そういえば数年前、中国の杭州で糖尿病の低血糖昏睡に陥り、友人が救急車を呼んで呉れたが、担架ではなく、風呂敷状の大きな布にくるまれて階談をくだってくれた。些か戸惑った。
更に病院に到着して目をまわした。タクシー宜しく、料金を払わなければ下車させないのだ。命よりカネ。これを知れば東京の救急車のサイレンは優しさの安売りと言ってもいいだろう。
私も、今度こそ、脳梗塞再発の発作に襲われたら、3時間以内に東京女子医大に搬送してもらって特効薬APTを注射していただかないと半身不随とか重大な事態になってしまうというから、いまのうちから救急車の予約をお願いしたいような心境である。
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