14日の産経紙の曽野綾子氏が連載している「透明な歳月の光」で、民主党の大敗についての原因について論じたご文章が、非常に合点のいくものだった。
国民が民主を支持することができなかったのは、勿論、菅首相が消費税を高くすることを主張したが、それ自体は当然という空気もあり、そうではなく、世論が反発をするとすぐに逃げ腰になったその覚悟のなさが問題であること、そして国民が最も関心を寄せていた「政治とカネ」の問題について少しも言及されることがなく、国民は胡散臭さを感じたのだという。さらに民主は事業仕分けなど、どんなに実績を論っても、所詮、当然の瑣末な作業であることを実は国民は見抜いているという。
また、民主が僅かな議席しか持たない政党と連立を組み、閣僚のポストを与えたことに国民が厭気がさす一方で、「みんなの党」が「民主党とは連立しない」と代表か明言したことが同党の躍進をもたらしたのではないと指摘している。
そして論の真骨頂は「日本という国家をどのような国にするかという大計が示されなかったからだろう」し、日本が他国の攻撃を退ける具体的な方法を示さず、外国人の経済・資源の侵略を防ぐ手立ては何も示されず、地球的規模の気象変化の中で、自国の食料と水と燃料の不足をどう防ぐのか具体案すら示さなったことは、およそ政党存在の意味がなかったのではなかろうか、と指摘している点である。
確かに安全保障について全くと言っていいほど民主は論じなかった。そして一部の政党を除いて、ほとんど日本の「かたち」の大計を論じることはなかった。同氏の指摘は重要であろう。
今また、臨時国会に当たって各党は虚々実々の動きをし始めているが、政治が権力闘争といった内向きになるのではなく、国民、世界に向けた外向きの動きができるかどうか、選挙後の各党の動きをじっと国民は見ている、監視していることを忘れてはなるまい。
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5962 日本の「かたち」の大計を欠いたしっぺ返し 丸山公紀
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コメント
そもそも、民主党には、党の綱領さえない。
従って、総理の発言に対してさえ、各議員の反応は全くバラバラでまとまらない。
党の綱領もない政党であるから、当然、目指すべき「国家ビジョン」もないし、「国家の大計」もない。それは、支離滅裂のマニフェストをみれば、良く分かる。
このままでは、日本は世界の激流に押し流されてしまうだろう。