政治評論家の花岡信昭氏が14日、急性心筋梗塞で亡くなった。享年65歳、早過ぎる死である。年齢が15歳も違うし、花岡氏が産経新聞に入社した一九六九年には、私は政治記者の第一線を離れてデスク入りする頃だったので面識はない。
だが花岡氏の論評はズバリ斬り込む魅力があった。杜父魚ブログに269本を収録してある。
http://kajikablog.jugem.jp/?cid=43330
最近の論評で秀逸だったのは「菅首相のクビに鈴をつけるのは仙石由人氏しかいない」であろう。
<<民主党内では仙谷由人氏しかいないという声がある。仙谷氏は「3・11」によって、菅首相のたっての望みで党代表代行兼務のまま官房副長官として官邸に復帰した。枝野官房長官の兄貴格だから、いまや首相官邸の最大の実力者ということらしい。
党内ににらみを利かせることができ、野党自民党とのパイプも太い。民主党にはあまりいないタイプだから、こういう危機的状況のときに手腕を発揮する。「尖閣」対応などで問責決議を受けたことなど、すでに吹き飛んでいる。
菅首相としては、自分の支えになってほしいと官邸に招き入れたのに、引導を渡す役として浮上する展開になるとは思っていなかったに違いない。>>
花岡氏の仙石評はかなり高い。よほど、その力量に惚れていたのだろう。「ワンポイントリリーフで仙石氏が後継首相に? 」とまで言っていた。
<<ズバリ仙谷氏だ、と見る向きがある。政治の世界では「鈴付け役」はナンバー2に徹してはじめて成功するものだという見方が強いが、この非常時で大連立へのシナリオを実現する立役者となれば、仙谷氏がそのまま後継首相となる可能性が高まるというわけだ。>>
少し前までは、小沢一郎氏に高い評価を与えていた。花岡氏の政治キャリアは小沢氏の波瀾万丈の歴史と重なり合っている。小沢氏の政治的パワーの「すごさ」は知り尽くしているといっていい。
今の政治評論は小沢が好きか、嫌いかで論じる傾向があるから偏ってしまう。その点では花岡氏の小沢評は冷静な見方をするので、安心して耳を傾けることが出来た。惜しい人を失った。
<<それにしても、小沢氏ほど毀誉褒貶の激しい政治家はいないといっていい。筆者は55年体制下の自民党全盛期から55年体制崩壊に至る過程を政治記者として見てきた。
新聞社の政治部長を務めたのが細川政権から村山政権までだ。小沢氏が自民党を飛び出し8党派連立の細川政権をつくった最盛期も、新進党崩壊などの失意のときも、それこそ天国から地獄までをフォローしてきた。
そうした立場からいえば、小沢氏の政治的パワーの「すごさ」は、ほかの政治家にはまず見られないレベルのものと感じてきた。
側近政治家や担当記者が次々と離れていく事情も目の当たりにしてきたが、小沢氏は何につけ説明不足である。ひとつの政治的ステージが終わると、その後始末をあれこれ果たす前に、すぐさま次の段階に飛んでしまう。これによって、側近とされてきた人たちは「何の説明もない」「急に冷たくされた」などと去っていくことになる。
小沢氏にしてみれば、「いま、自分がオレ(小沢氏)にとって必要な存在であるのかどうかぐらいは自分で判断しろ。その判断がつかないようでは政治の世界にいる資格がない」といった感覚なのではないかと感じてきた。
筆者が政治取材の現場にいたころ、自民党は田中、福田、大平、中曽根、三木の5大派閥が仕切っていた。政治取材の基本は派閥取材であり、政治記者たちはそれぞれの担当派閥の領袖や幹部のフトコロに入り込むべく努力した。
政治家の側も、記者たちをいかに周辺に集められるかで実力度がはかられるという時代だった。
小沢氏の場合は、若くして田中派の継承者の地位を確立したが、そうした旧来型の派閥幹部とはやや違っていたように思える。周囲に政治記者が常に集まるような、べたべたした人間関係を嫌うのだ。そのドライな感性のようなものを見据えないと、小沢氏を理解するのは難しくなる。>>
政治家の強制起訴というのは、日本政治が初めて体験する光景である。小沢氏がいうように「通常の起訴とは違う」のかどうか。今後の政治展開を洞察する上で、ここは腰を落として、じっくりと見ていく必要があるようにも思える。
■花岡信昭(はなおか・のぶあき=拓殖大院教授、政治評論家、元産経新聞論説副委員長)14日、急性心筋梗塞のため死去、65歳。通夜、葬儀・告別式は未定。
長野県出身。早稲田大政経学部卒業後、昭和44年に産経新聞社に入社。論説委員、政治部長、編集局次長、論説副委員長を歴任した。平成14年に退社後は政治評論家として活躍した。
杜父魚文庫
7894 政治評論家・花岡信昭氏の死去 古沢襄
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