10170 明日に向かって松本薫も福見友子も走れ!  古沢襄

ロンドン五輪女子柔道で松本薫選手が金メダルに輝いた陰に、悲運の福見友子選手がいる。福見選手はリオデジャネイロ世界選手権の代表選考会だった2007年選抜体重別選手権で谷亮子に勝利して、谷亮子に二度も土をつけた柔道家として注目された。
しかし、世界選手権日本代表には、過去の実績を重視された谷亮子の方が選ばれた。だからロンドン五輪に出場できたことで秘かに期すところがあったに違いない。それが空しく敗退してメダルを手に出来なかったのだから、口惜しさはひとしおだったろう。
まだ二十七歳の福見友子選手だから、悲運をバネにして松本薫選手とともに日本の女子柔道を背負って立つ意欲を持って貰いたい。悲運に打ち勝つことによって人はより強くなる。
<日本に待望の金メダル第1号だ! 松本薫(24=フォーリーフジャパン)が、決勝でカプリイオリウ(ルーマニア)に延長の末に反則勝ちし、今大会の日本選手団初となる金メダルを獲得した。初戦から相手をにらみつける闘争心むき出しの攻撃で、柔道女子今大会初のメダルで、同階級は56キロ級だった時代を含めて初の快挙。期待の福見友子、中村美里とメダルなしに終わった重苦しいムードを断ち切り、日本チーム全体に勢いをつけた。
涙が抑えきれなかった。やっと、こじ開けた金メダルへの扉。勝ち名乗りを受けた後、松本は真っ先に園田監督の下へ駆け寄った。涙を何度もぬぐう。「ホッとしました」。だが、表彰式で君が代を口ずさむ表情は、晴れやかだった。「最初に泣いたので、なくなりました」。そう笑った。
昨年世界選手権3位のカプリイオリウとの決勝。決め手はないが、果敢に動いた。バテた相手とは対照的に攻め続けた。延長17秒。相手が松本の軸足を刈ってきた。審判団が集まり審議する。反則が宣告され、松本に手が上がった。その瞬間、金メダルが決まった。
「運が良いんです。駄菓子屋でアメの当たりくじを4回連続当てたことも。店の人に疑われましたけど」。女子57キロ級として日本人初の頂点。今大会の日本金メダル第1号にもなった。「1番は好き」。持ち前の強運は、ここ一番でも生きていた。
右足を前に構え、始めの合図で猛然と突っ込む。疲れはみじんもなかった。たぐいまれな身体能力。小学時代、弟の元大(げんた)さんとの競り合いで培った。家の屋根に上がってはぎりぎりまで滑り落ちる「あり地獄」で遊んだ。端から落ちれば崖。4階建て分の高さがあった。「自分がぎりぎりにいるのに、弟が滑ってきてぶつかって落ちたこともありました」。
高校時代は自転車で通学中、3度も車とぶつかり宙を飛んだ。だが、体は車を越えてぴたりと着地。自転車を買い替えただけで済んだ。血液を検査すると、人より乳酸を分解する能力が高いことが分かった。「みんなより疲れにくいそうです」。派手な一本勝ちはないが、前へと突き進んだ。
約束の舞台だった。中学生のとき、柔道で海外遠征に行く機会が増えた。母恵美子さんに「いいなぁ、薫はいろんなところに行けて」と言われた。5人兄弟。母は地元石川県から出たことがなかった。「じゃあ、私が五輪に連れて行ってあげる」。五輪で金メダルを目指す柔道が始まった。
だが、その道は険しかった。高校時代は東京へ柔道留学するも合わず、石川に戻った。帝京大時代は1年で鼻骨、2年で右肘の骨を折るなど、毎年骨折などの大けがを繰り返した。原因は明白。食生活だった。
白米を好まず、食生活はおかずとお菓子だけ。朝は空揚げだけで過ごし、昼はアイスやポテトチップスにチョコ。夜も揚げ物と肉だけを平らげ、部屋に帰るとお菓子の続きを食べていた。「ちゃんとした栄養を取っていなかったんです」。
変えてくれたのが、フードコーディネーターの父賢二さんだった。大学3年から毎月1、2度、冷凍した食事とレシピを大量に送ってくれた。白米嫌いを分かって、野菜やエビが入ったチャーハンにするなど工夫のこもった味。「体が変わった。代謝が変わり、食べても太らなくなった」。生まれ持った身体能力を生かす「器」ができあがった。
「今はパフェを食べたいです」と無邪気に笑った。「ウルフ」の愛称を持つ野性味あふれる五輪女王が、誕生した。(日刊スポーツ)>
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