18787 イラン核枠組み合意、譲歩重ねた交渉の歩み    古沢襄

■米ウオールストリートジャーナル

オバマ政権の幹部は2013年9月、核インフラの大部分を解体させることを期待してイランとの交渉に臨んだ――ただ、こうした結果になるだろうとの疑念は抱いていた。

米国とイランの外交担当者が翌月、ジュネーブ湖に近い国連オフィスで開かれた初めての正式会合に出席すると、こうした疑念はすぐに現実味を帯びてきた。

米当局者によると、イランの代表者は数万基に上る濃縮用の遠心分離器やプルトニウム生産炉、地下の燃料生産施設などを解体するのは現実的でないとの態度を明らかにした。

イランのアラグチ外務次官は米国側に「月ロケットを打ち上げるようなものだ」と述べ、核プログラムの経済的、科学的恩恵がイラン社会とプライドにいかに重要であるかを説いた。

■イラン核合意って何? 早わかりQ&A

米政府はより現実的な合意を模索することにした。米政府高官は民生用と軍事用の核燃料生産に言及し、「彼ら(イラン側)と現実の交渉の場に着くとすぐに、最終合意がどんな形になっても(イラン)国内に(ウラン)濃縮能力をいくらか残す内容になることを理解した」と述べた。また、この高官は「正直に言えば、われわれは常にそれを予想していた」とも語った。

重要なのは、核インフラの解体・撤去から、より複雑な一連の制限を課すことに交渉の目的が移行したことだ。これらの制限はイランが「暴発」し、核兵器生産に突き進む必要に迫られる時間を引き延ばすことを目指していた。

交渉が進むにつれて米国側は定期的に譲歩を繰り返したが、こうした初期の行動がその後の交渉の方向性を固めていった。

イラン側も数千基に上る遠心分離器の稼働を停止したほか、国連査察団の役割拡大、核分裂性物質の貯蔵量削減など、専門家の多くが疑問視していた行動を取った。

2日に発表された枠組み合意は長期間に及ぶ交渉の成果で、大詰めとなる最後の数日間は長時間にわたるマラソン協議が行われた。

米政府の関係者は、イラン核プログラムのあらゆる要素に制限を課し、それらを証明させる制度を導入したため、今回の合意が歴史的な成功になったと絶賛。オバマ大統領は「この枠組みは核兵器を開発するためにイランが取り得るすべての道をふさぐだろう」と述べた。

一方、オバマ氏は「われわれが求めたため、イランが単純に(核開発)プログラムを破棄することはない。世界はそのように回っていないし、それは歴史が示していることでもない」と発言。

イランのザリフ外相は同国が合意を順守するとした上で、「われわれの施設は(稼働を)継続する」と話した。

今回の枠組み合意は6月30日までに正式な最終合意にまとめる必要がある。一方、制限はあるものの、イランが基本的な核インフラを保持し続けるのを認めるなど、米国が譲歩しすぎたのではないかという疑問を中心に、激しい議論が米国内外で起きる可能性がある。

欧米やイランの外交官とのインタビューを通じ、19カ月におよぶ米国とイランの直接交渉を振り返ると、イランとの歴史的な合意形成にかけるオバマ大統領のひたむきな心理が透けて見える。

交渉担当者が2013年11月に暫定合意に達してから、交渉は3回の延長を加えてほぼ切れ目なく続けられた。暫定合意ではイラン核プログラムの一部に制限を課す一方、欧米側による経済制裁が一部緩和された。

オバマ氏によると、当時、米国の代表団は依然としてイランが持つ核インフラの大半を解体することを目指していた。解体・撤去を目指していたのはアラクの重水炉、フォルドウの要塞化された地下濃縮施設、ウランガスから核燃料を抽出する先端遠心分離器などだ。

再開された交渉の多くはウイーンで開かれたが、ここでイランの外交官は一切の核施設を解体しないという方針に固執した。

イランのアラグチ氏は米国側に対し、同国の核開発は冷戦時代のまっただ中に米国が行った宇宙開発に等しいと指摘。ただ、アラグチ氏は他のイラン当局者と同様、核開発に軍事的要素は全く含まれていないと主張した。

米国の交渉担当者らは、イラン側のかたくなな姿勢のおかげで、2014年の初めまでに米政府の全体的な交渉目標が実質的に変化してしまったと話す。

当初、交渉の焦点はイランの核プログラム全体を大きく変化させることに当てられていた。その後、制裁を受けたイランが早々に「暴発」し、爆弾を製造するのに十分な核燃料を蓄積する能力を与えないようにすることに焦点が移った。

米国の科学者らは、欧米が爆弾を組み立てるイランの動きを検知し、それに対応するのに12カ月の時間があれば十分だと結論付けた。交渉の目的はそこに移り始めた。

昨年、2回も期限を超過して続けられた交渉で、米国は一連の譲歩を与えるのに同意した。当時の米国の態度はフランスを中心に他の交渉参加国をイライラさせた。

米政府の関係者は、最終合意ではイランの核施設の多くがそのまま残されるだろうと、初めて公の場で認めた。

交渉は、ナタンツとゴムにある2つの主要濃縮施設に集積された2万基近くの遠心分離器を削減することに焦点が当てられた。

米国のケリー国務長官と主に交渉したのは、米国で教育を受けた外交官で、新たに選出されたロウハニ大統領から任命されたザリフ外相だった。

ただ、米政府は最高指導者アリ・ハメネイ氏が核問題の最終決定者であることを知っており、ハメネイ氏は米政府に深く関与するのを避けてきた。

関係者によると、オバマ氏は10月にハメネイ氏に密書を送り、核協議で合意すれば過激派組織「イスラム国」掃討で米国とイランが協力できると主張したという。

11月初旬、米国の代表団はオマーンで開かれた会合でザリフ氏のチームに8ページの文書を手渡した。

米国側は核協議の技術問題解決でイラン側が柔軟性を示すと信じていたのだ。この文書の中心議題はイランが運営できる遠心分離器の数、従事できる核研究の種類だった。

その1週間後、イラン議会委員会の会長が米国の提案を公表し、同国の核プログラムを「ゼロに戻す」意図があるものだと非難した。

この不協和音が原因で、米国とイランは11月24日に設定された2回目の期限までに包括的合意に至ることができなかった。米政府は再び交渉期限を延期することを決めた。

米国内では政府が交渉で当初の要求を取り下げ続けていることに注目が集まり、1月までには米議会で野党に勢いが付いてきた。強硬路線を求める圧力に対処しようとしたオバマ氏は同月、議員らに米国がこれ以上交渉期限を延長しないと説得することにした。

欧米の外交官によると、これと同時にイラン側も、欧州で行われた一連の交渉で積極的に姿勢を変化させる意向を示唆していた。

米国は1年以上にわたり、最終合意では爆弾を製造するうえで十分な核燃料を集めるのに1年以上かかる状態にイランを置いておく必要があると主張してきた。イラン側は1月の交渉で、こうした状況に付随する具体的条件について質問し始めた。

交渉に参加した外交官らによると、世界の外交官らがミュンヘンで開かれた安全保障会議に集まる2月初旬にまでには、米国はイランが1年前後という条件を基に組み立てられた合意案を受け入れるだろうと明確な言葉で述べるようになっていた。

ここから別の問題が交渉を難航させた。

交渉ではイランが稼働できる遠心分離器の数に議論が集中し、イランは最終的に5060基まで減らすことに同意した。米国の当局者は2月、同国が15年以上続く合意を目指す一方、イラン側は最終年には濃縮活動だけでなく核研究さえも拡大できるようになることを認識していた。

3月中旬にスイスで開かれた会合では、濃縮問題の優先順位が引き下げられた。ただ、オバマ氏に対する政治圧力は2013年の交渉開始以来、最も高まっていた。

スイスのローザンヌで交渉が開かれるまでには、ケリー氏を含む米代表団はイラン代表と次第に緊密な関係を築いていった。

欧米の当局者によると、交渉の最終ラウンドで主要議題となったのはイランに課された国連制裁が解除されるペース、およびイランが行う将来の核研究開発の範囲だったという。

3月31日の交渉期限が過ぎた1日には山場が訪れた。ケリー氏とザリフ氏は意見の相違を調整するため8時間以上話し合った。

米国の関係者によると、最後まで残った難題の一つは、イランが実施する将来の核研究開発についてだ。交渉担当者はスイス時間の1日午後9時に会い、米国とイランが合意に達する翌2日午前6時まで交渉を継続したという。

オバマ氏が国家安全保障担当のスーザン・ライス大統領補佐官から電話を受けたのはワシントンの深夜だった。オバマ氏は代表団に交渉の仕上げにゴーサインを出した。同氏は「私にとって肝心なことはみんな知っている」と述べた。(米ウオールストリートジャーナル)

 
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