十日間の入院生活で退院したら、もう一度読もうと思った小説があった。昭和作家・武田麟太郎氏の小説「弥生さん」。敗戦の年の一月に脱稿した短篇小説なのだが、戦火の中で雄々しく生きる一人の美しい日本女性を描いている。
タケリン(武麟)は翌年の昭和二十一年三月三十一日に四十三歳で、この世を去った。昭和四年に「暴力」を文藝春秋に発表してプロレタリア新人作家としてデビューし、昭和七年には「日本三文オペラ」を中央公論に発表して、”市井事(しせいじ)もの”の小説で、独自の世界を開いている。
戦前・戦中の息苦しい時代にあって、庶民風俗の哀歓を追求した武田文学は、プロレタリア文学から超えた”庶民文学”として光芒を放っている。タケリンが拠って立ったのは、井原西鶴。西鶴によって武田文学が開眼したといわれている。
弥生さんの話を書く・・・という書きだしで小説「弥生さん」は始まっている。タケリンは昭和十六年に報道班員として徴用されてジャワに送られた。西部ジャワの上陸作戦に向かう輸送船の中で佐々木一等兵と親しくなった。
佐々木さんはタケリンが帰還したら自宅に寄ってほしいと頼んでいる。東京の住所を教えられて、佐々木家を訪ねたらお母さんと嫁が留守を守っていた。その嫁が弥生さん。邸に古くからいた女中さんが、空襲が激しくなったので田舎に帰って、嫁と姑の二人が防空壕生活を送っていた。
その二人のやりとりを、さりげない筆致で淡々と描いている。タケリンは滅亡に瀕した日本を弥生さんという美しい女性に託して描いている。戦争は人命を奪うとともに、地上からすべての美しいものを奪おうとしている。
野田宇太郎氏は「人が家が、祖国が日一日と醜くなる時、作家は何を為すべきか、タケリンはその懊悩を弥生さんの小説にぶつけている」と解説している。この時期にタケリンは「美しきものを書く」と野田氏に言っている。
二千年の歴史の中で日本は、美しい伝統と文化を育んできた。敗戦によっても、その遺産は残されている。敗戦を予感していたタケリンは、その伝統と文化を失ってはいけないと弥生さんの小説で遺言として残したのではなかろうか。
1030 タケリンの弥生さん 古沢襄
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