1286 浅草で旧友との楽しい一夜 古沢襄

頂門の一針の後記に「昨夜は浅草の秋田料理屋で旧友古澤襄さんに招かれて楽しかった。かつて角福戦争の時、福田番だった。美人の誉れ高いお嬢さんにもお目にかかれて光栄だった」とあった。
東京まで出ていったのは久しぶり。定刻の四〇分前に店についてしまったが、ほどなくして渡部氏が現れた。二人だけで密談する時間がたっぷりあった。渡部氏の情報網は驚くほど広く深い。もっぱら私の方が聞き役に徹する。
古希を越えて、これだけの情報網があるというのは、それだけ豊かな人脈を今でも持っていることになる。外相秘書官時代に培った人脈が連綿として続いているのは渡部氏の人柄に負うところが大きい。
こういう仲間と会うと骨髄腫のことは、しばし忘れて痛飲することになる。秋田銘酒の新政(あらまさ)の大徳利を四本空けても、まだ酔わない。秘書役だった筈の次女も話に気をとられて父親の飲み過ぎを注意しない。話のコシを折ることに気を使ったのかもしれない。
この秋田料理屋は古いから店の中は、お世辞にも上等といえない。切り炬燵の上に設えたテーブルのあいこちが剥げている。浅草にはこういう店が多かった。作家・高見順が愛したお好み焼き屋「染太郎」も汚い畳の店であった。
泥鰌料理をだす店にも通ったが、だだっ広い二階の大広間でネギがたっぷり乗った泥鰌鍋を突っつくだけの構えであった。
庶民の街・浅草の良さは、こういう古き店にあったのだが、時代が変わって新しい洒落た店が多くなった。ビルもやたらと目につく。昭和文士が愛してやまなかった”お江戸”の名残りが、浅草からから消えようとしている。
雷門の裏手に大黒屋という古い蕎麦屋があった。愛想をふりまくことをまだ知らない少女が一人で忙しく蕎麦の注文を捌いていた。私はこの店に長尻して酒を飲んだものである。蕎麦の種を摺りつぶして味噌とあえたものを、しゃもじに塗って、火で焙ってくれる。それをサカナにして酒を飲んだ。
この店は今はない。新しいビルに移って新装開店という話を聞いて、店の前まで行ったが入らずに帰った。
渡部氏から「美人の誉れ高いお嬢さん」と破格のお褒めを頂いた次女も、すでに四十五歳。だが、浅草の古き店の良さが分かる年頃になったと骨髄腫の父親はひそかに思っている。しこたま酔った父親を心配したのか、遠回りして、つくばエクスプレスで途中までついてきてくれた。
師走の風がひときわ身にしむ夜の浅草だったが、楽しい旧友との一夜となった。
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