2002 人間の皮を被った猿 渡部亮次郎

<「食べる」ということは、セックスや排便と同じような生理活動であって、本来は「秘め事」であるべきものだ。>と親しい評論家の加瀬英明さんが指摘している(「頂門の一針」1238号 2008・7・5)
だから加瀬さんは日本のテレビでの料理番組の多さこそは異常だと指摘し、嘆いている。
<チャンネルを回すと、何が美味しいかという食べ物番組を、朝から晩まで流している。これほどテレビで食べ物番組が多い国は、世界に他にない。
タレントとか、セレブといわれる人たちは、何十万人という人々の前で食べることが、恥しくないのか。
経営者の中にも、どの店の何が旨いとか、おいしいとか、好んで話題にする者が少なくないのに辟易させられる。
食べるということは、セックスや排便と同じような生理活動であって、本来は秘め事であるべきものだ。だから、よほど親しい相手でなければ、話すべきことではない。
男であれば、何が美味しいとか、不味いとか、口にしてはなるまい。
食べることに執着することは、精神病理学ではオーラル・フィクゼーション(口腔執着)といって、幼児がオシャブリを啣(くわ)えて離さないような、幼児的なことである。どうも社会が幼児化しているようで、日本の前途が暗い。>
恥をいえば私は1978年1月、モスクワの日本大使館で開かれた日本外務大臣(園田直)の「すき焼午餐会」でグロムイコ外相が左ぎっちょで箸を使い、すき焼を食べたので珍しい光景だと思わずシャッターを切った。後で大臣から猛烈に怒られた。
「口を開けてものを喰う事はセックスと同じ行為なんだよ、知らんのか。口を開いて食事を共にする事は、恥を共にすることだから親しくなる契機(きっかけ)になるんだよ」。
国を代表する者同士が国の予算で高価な料理や高級ワインを飲むのは、従って外交交渉の一環であるわけだ。個人的には親しくなり国家的には国の名誉をかけて失礼の無いレベルの酒肴を出すというわけだ。
日本に国家の賓客が到着すると、国を代表して天皇、皇后両陛下が歓迎式を催され、帰国時は見送りをされる。その間、晩餐会か午餐会が催されるのが仕来りだが、これを中継するテレビが放送できるのは主客のご挨拶に続く乾杯まで。食事場面はご法度である。
したがって両陛下が食事のためにお口を開けたところは一般には公開されたことは無い。これからも無い。食事は生理活動。本来「秘事」という原則が厳しく守られているからである。
この事は貧しい家庭でも敗戦までは守られていた。歩きながら食べ物を口にする事は恥かしい事と、農家の母親から口を酸っぱくして教え込まれたものだ。
それを破り且つ「良い事」のように振舞って見せたのがアメリカを中心とする占領軍である。大して教養の無いアメリカの田舎の兵隊が人前でガムを噛んだり、ハンバーガーを歩きながら口に押し込んで見せたから堪らない。日本の馬鹿がそれを真似して粋がって見せた。
汚い兵隊たちを歌手の岡晴夫が「粋なジャンバーのアメリカ兵」と歌った。深刻な敗戦から早く逃げようとすべてをすり替え、アメリカ的な軽薄を受け入れる事が平和に繋がることと誤解してしまった。
今では若い女性も歩きながらパンやおにぎりを食べる。あまつさえ、電車の中で化粧をする事さえ恥かしげも無い。字のとおり化粧とは化けて装うための、いわば「手品」なのだからネタを知られてしまった下手な手品師と同じ。
こういう人種を東京ではでは「おしゃれ しゃれても 惚れ手がないよ」と貶したものだが、もう駄目だ。貶せる「大人」が存在しなくなったもの。いてもこちらが恥かしくなって目を逸らすだけ。
もともと「進駐軍」に化けた占領軍は憲法を始めとする日本の政治体制を徹底的に破壊すると共に世界に冠たる文化社会を腐敗させ二度とアメリカに立ち向かえない無力国家にすることを占領政策の眼目としていた。それが60年余で完成した。
狙いを知らずに占領政策を無批判に受け入れて真っ先に日本人で無くなったのが、労働組合を結成して「聖職」から「労働者」に転落して恥じない日教組である。
その日教組の「製品」が歩きながら物を食ったり電車の中で化粧を公開して恥じない「猿」なのである。いまに車内で性交を公開するのも出てくるだろう。人間の皮を被った猿だから。
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