■1.「私がこの手で殺します」■
平成12(2000)年3月22日、山口地裁から通りを隔てた山口県林業会館に設けられた記者会見場に姿を現した青年は、すさまじい怒りを込めて、こう言い放った。
司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します。
青年の名は、本村洋氏。前年4月に妻・弥生さんと11か月の長女・夕香ちゃんを残虐な手口で殺害した被告F(当時18歳)の裁判で、無期懲役の判決が出た事に対する怒りだった。少年の無期懲役なら、わずか7年で仮釈放される権利を得る。
Fはサンダルをペタペタさせて法廷に現れ、弁護人に促されて、ようやく「遺族の方には申し訳ないことをしました」と無表情のまま取って付けたような「謝罪」の言葉を述べた。
それを渡邉了造裁判長は「被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至った」と評価し、過去の事例を数多く紹介して、被害者が二人の場合は無期懲役が妥当であることを示唆した。本村さんは「この判決は無期懲役判決を下すための口実ばかり探している」と思った。
その予想どおり、裁判長が無期懲役の判決を下した後、Fに向かって「分かりましたか」と声をかけると、Fは「ハイ、わかりました」と元気に答えた。殺された弥生さんの母親のすすり泣きが法廷に響いていた。
裁判長は加害者には声をかけても、被害者には慰めの言葉一つもなかった。「日本の裁判は狂っている」と本村さんは思った。その「日本の裁判」に対する絶望が、「私がこの手で殺します」という発言になったのである。
■2.「司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか」■
記者会見の後、本村氏は吉池検事の部屋に入った。銀縁の眼鏡をかけ、普段は穏やかでクールな吉池検事が、突然、怒りに震えた声で話し始めたので、本村さんは息を呑んだ。
僕にも小さな娘がいます。母親のもとに必死で這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を司法が罰せられないなら、司法は要らない。こんな判決は認めるわけにはいきません。
こんな判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。本村さん、司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか。
この言葉から、本村の頭には「使命」という言葉が浮かんだ。「司法を変える」、それが自分に課せられた「使命」ではないのか。それこそが妻と娘の死を「無駄にしない」ことではないのか。
「司法を変える」という吉池検事の言葉は、半年ほど前に犯罪被害者の集まりで岡村勲弁護士から聞いた話に通じていた。岡村弁護士も夫人を殺害された犯罪被害者だった。「事件が報道されても、犯人の実名さえ報じてくれません」と涙ぐみながら語る本村さんに、岡村弁護士はきっぱりとこう語った。
本村君。それは法律がおかしいんだ。そんな法律は変えなければいけない。
この集まりから「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が始まっていった。
■3.「本村さんの気持ちに応えなければならない」■
吉池検事の部屋を出た後、本村さんは宇部空港から、羽田に飛んだ。テレビ朝日の「ニュースステーション」が今日の判決に関して、生出演してくれないか、と要請していたのである。
「使命」という言葉が浮かんでから、テレビを通じて自分の主張を社会に届けるのも、犯罪被害者たちのためだ、という決心がついたのである。
その夜10時半からスタートした「ニュースステーション」に本村さんは生出演した。昼間の記者会見の昂ぶりが消えて、本村さんは自分の「使命」を意識して、一生懸命に語った。
今の刑事訴訟法の中には、私が読む限りでは、被害者の権利という言葉は、ひと言もなくて、被害者が出来ることは、何も書かれていないんですよね。結局、国家が刑罰権を独占しているんで、強い国家が弱い被告人を裁くという、弱い被告人には権利をたくさん保障してあげましょうという構図が見えて、そこから被害者が、ポツンと置き去りにされているんですね。
ですから(法廷に)慰霊を持ち込むことにしても、駄目です、と言われる。
反応はすぐに現れた。記者団に囲まれた小渕恵三総理がこう語った。
無辜(むこ)の被害者への法律的な救済が、このままでいいのか。本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない。
この11日後に小渕首相は脳梗塞で倒れ、5月14日に亡くなるのだが、息を引き取る二日前に「犯罪被害者保護法」「改正刑事訴訟法」「改正検察審査会法」が国会を通過した。
これで刑事裁判を傍聴することしかできなかった犯罪被害者に、法廷での意見陳述が認められることになる。本村さんたち犯罪被害者の声は、確実に司法を変えつつあった。
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2668 私がこの手で殺します(上) 伊勢雅臣
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